魔女裁判を題材としたファンタジー法廷バトル中編作品です。完全無罪を目指して戦う場合、若干の推理力が求められます。割と長いのでお暇な方どうぞ。

 

1

 むせ返るほど強烈な煉香(ねりこう)の匂いに混じって、ほのかに甘い汗の香りが漂ってくる。それが若い女性の体香だと感じ取れたのは、やはり僕が男だからだろうか。
 ランプを掲げて奥を照らす。煙の充満した薄暗い岩屋。その最奥に、一糸まとわぬ少女の肢体があった。
 灯し火のほのかな光を照り返す、透き通った白い髪と白い――肌。磁器のように綺麗だったけれど、それはまるで人間味を感じさせない美しさだった。
 胸の高鳴りに反して、背筋は冷たくなっていく。惹かれる想いと未知への恐怖が、心の中でぴたりと釣り合っていた。
「アッサ・グレンデル……。賢者アッサ・グレンデル様ですか?」
 呼びかけると、暗闇の奥に浮かんだ瞳がギロリとこちらをにらみつけてきた。この反応……どうやら彼女で間違いないようだ。
 ――賢者アッサ・グレンデル。
 彼女がそう呼ばれていたのは、20年も昔のこと。当時、魔女裁判にかけられ有罪判決を受けたアッサ・グレンデルは、国外追放の憂き目に会った。以来、かつて賢者と呼ばれたその人は、人里離れた山奥にこうして居を構えている。
 零落の賢者。今では皆にこう呼ばれている。『邪道賢人アッサ・グレンデル』――と。
 ――やはり彼女は魔女だったのだろうか。
 20余年前。稀代の美貌と英知を称えられた少女アッサ・グレンデルが、当時の美色をそのままに今もこうして健在であるという事実。
 ここが暗闇でなかったなら、目的を忘れてただただ見入っていたかもしれない。彼女は、美しかった。
「なんの用件だ。若造」
 目の前の少女が尋ねてくる。小さな鈴を鳴らしたような、可愛らしい声だった。
「あなたに弁護をお願いしたいのです。魔女裁判の……」
「ならん。帰れ」
 僕の言葉をさえぎって、アッサ・グレンデルは拒絶の意思を示した。用件の内容がどうのという問題じゃないんだろう。『人間』そのものに対するあからさまな不信が感じ取れた。
 だけど、僕の方もここですんなり帰るわけにはいかない。この世でたった一人の肉親が――妹のナジャが、魔女裁判にかけられようとしている。諦めることなんてできない。
「今日までいろいろな人に弁護を頼みましたが、全て断られました。このままでは弁護人不在で即刻有罪判決が下されてしまいます。もうあなたしか頼れる人はいないのです」
 アッサ・グレンデルがピュウと口笛を奏でた。少しは興味を持ってくれたらしい。
「弁護を断られた? なにをしでかしたのだ?」
「魔女の嫌疑。それと、異端審問官を殺害した容疑です」
「はははっ」
 アッサ・グレンデルは背中を丸めて笑った。
「『魔女狩り』を魔女が殺したか。それは痛快。道理で弁護を引き受けてもらえんはずだ」
「まだ『魔女』ではありません。裁判前ですから」
「法的にはな。だが時間の問題だ。魔女の罪で罰せられた者は数あれど、死罪となった者はここ40年おらんはずだ。40年ぶりの快挙達成だな。おめでとう」
 露骨な挑発に、ただうつむいて応じる。
 彼女の言うとおり、魔女が異端審問官を殺害したとなると、その罪は限りなく重い。弁護をなかなか請けてもらえなかったのもそれが要因だ。「そんなおぞましい魔女の弁護など引き受けられない」というわけだ。
「告発者はヘンリという名の男です。通称『魔女狩り領主』のヘンリ。あなたはよくご存知でしょう? 今回の裁判でも、彼が検察官として出廷します」
「あのスケベじじい、まだくたばっておらんかったか」
 どこか遠くを見つつアッサ・グレンデルが言った。笑ったままの表情を崩さず、けれどその瞳は飢えた野獣のようにギラついている。
 彼女が法廷を離れて20年――。蔑まれ、貶められ、居場所を追われ、たった一人。暗闇の中で過ごした20年。
 ――長い……長い20年間だっただろう。どれだけつらかったか、僕には想像もつかない。
 でも、彼女の鋭い眼光はまだ死んでいない。目を見てわかった。邪道賢人アッサ・グレンデルはまだ戦っている。あの魔女裁判の法廷で今も……!
「今回、あなたを弁護人として招くことが特別に許可されました。もちろん自由というわけには行きませんが……」
「その依頼。引き受けたとして我(われ)にどんなメリットがあるというのだ?」
 からかうような口調でアッサ・グレンデルが問いかけてくる。でも、きっと彼女はこの依頼を断らない。
 ――20年前。アッサ・グレンデルを魔女として告発したのが、他ならない領主ヘンリなのだ。一矢報いるため……あるいは自らの汚名を晴らすために、彼女は必ず出廷してくれる。
「お願いします。どうか僕の家族を助けてください。お礼は必ずします」
 まっすぐ目を見つめて、誠心誠意お願いする。下手な駆け引きは逆効果……などという計算が働いたわけじゃない。僕には駆け引きを打つ余裕すらなかった。
「……魔女の嫌疑をかけられたとて、皆が有罪判決を受けるわけではない。体を隅々まで調べられ、魔女の印が見つからなければ公訴取り下げ、無罪放免だ」
 出し抜けにアッサ・グレンデルが言った。
 ――そう。領主ヘンリの『魔女狩り』はそのルールで行われる。
『拷問にかけられ無理やり自白させられる』『告発されたら有罪は確実』『魔女は財産を没収されるため、金品目当てで異端審問官が無実の人をも陥れる』などと誇張された『魔女狩りの実態』が、まことしやかに語られることは少なくない。けれど現実には、拷問が全ての地域で行われているわけではないし、魔女の嫌疑をかけられながら無罪放免となった人たちも大勢いる。魔女狩りの内容は、その地方を治める領主の性格に左右されるものなのだ。
 僕の住む町では、拷問が行われたことは一度もなく、また多くの人が無罪となっている。だけど――。
「そう。彼奴(きゃつ)の寝室で隅々まで……な。……おかしいとは思わなかったか? 領主ヘンリに告発される者は、そろいもそろって美女ばかり。裏になんらかの狙いがあると考えるのが妥当であろう? 例えば下心とか」
「あなたが魔女の嫌疑をかけられたとき、ヘンリはなにか……?」
 僕が尋ねると、アッサ・グレンデルはぎゅっと拳を作り大げさにうなずいた。
「うむ! 彼奴め! 取調べが始まるや否や、なんと自ら服を脱ぎだしおった!」
「え……」
「が、しかし! 黙っている我ではない! すかさずこの鉄拳をもって制裁してやったわ! わっはっはっは!」
 固めた拳を前へと突き出し、アッサ・グレンデルは豪快に笑った。薄暗い洞穴内に高らかな笑い声が響き渡る。
 ……やがて。
 明るい笑い声は静まり、アッサ・グレンデルの表情が今度は暗く沈み込んだ。
「……その結果がこの体たらくというわけだ。焼きゴテで魔女の印をつけられ、我は町から追い出された。かつては賢者と称えられたこのアッサ・グレンデルが、情けないことよ」
 凄みの利いた薄笑いを浮かべて、アッサ・グレンデルが自身の胸元を数回叩く。そこには古い火傷の痕が刻印されていた。魔女の証である火の紋章が――。
 領主ヘンリはこれまで30人以上もの女性を魔女として告発し、その内7人が有罪判決を受けている。アッサ・グレンデルもその中の一人だ。
 つまりこういうことか。ヘンリは気に入った女性を魔女として告発し、相手に取り引きを持ちかける。相手が応じれば公訴取り下げ。応じなければ魔女裁判にかける。
 人口1200人の小さな町で、領主ヘンリの力は絶対だ。その権力で有利な証拠をいくつもでっちあげ、裁判官に裏金を流し、自ら検察官として出廷、流れ作業で一方的に有罪判決を勝ち取る。その強引なやり口は、隣の町にまで噂が広まっているほど有名だ。
 ――その噂があったから、なのかもしれない。今回の裁判にはある人物が視察のため訪れる。教皇庁の最高顧問である『枢機卿』閣下が。
「魔女裁判の日、町に枢機卿がいらっしゃるそうです」
「……ほほう」
「今回の裁判も見学されるそうです。ヘンリも露骨な不正は行えないはず」
「勝ちの目はあるということか。面白い」
 とはいえ、事はそう簡単じゃない。なぜなら「殺害の瞬間を目撃した」と、ヘンリ自身が言っているからだ。逮捕されたナジャも事件についてあまり話してくれなかったし、どういった審理が為されるのか全く想像がつかない。
「いいだろう。『魔女を弁護する』。その悪事に加担してやる。ただし、弁護力には期待するな。我の目的はあくまでも個人的な復讐だ」
 アッサ・グレンデルが足元へ手を伸ばし、ひらひらしたものをつかんで体に巻いた。肩から太ももまでを覆う薄手のケープだった。
「手は二つある。法廷で被告人の無実を訴えるか、貴様の家族とやらを強引に奪取するか」
 ケープの端を肩で留めつつ提案してくる。
 裁判か盤外戦術か……。いずれも成功確率は高くないだろう。厳しい選択を迫られ、僕は思わず唾を飲んだ。

A:アッサを信じて裁判に臨む 7へ
B:ナジャを奪取する 10へ

 

2

 町へと向かう馬車に揺られながら、僕とアッサ・グレンデルは裁判の方針について詰めた話をしていた。
 求めるのは減刑。すでに死刑がほぼ確定している現状、とにかく極刑さえ回避できれば儲けものだ。
「法律など関係ない。裁判とは交渉なのだ。求められるのは交渉術だ」
 かけられた手錠を指先でもてあそびつつ、アッサ・グレンデルが言った。この手錠は公的機関から渡されたもの。彼女は国外追放となった身なので、自由にしたまま町へ入れることはできないらしい。
「昔、法廷で服を脱いだ阿呆がおる。そいつは若く美しい女で、殺人の罪により起訴されておった。彼奴は裁判の最中生まれたままの姿となり、こう言ったのだ。『私の身は潔白です。その証拠に全てをさらけ出すことができます』とな」
「滅茶苦茶ですね。なんの証拠にもなってないし……」
「ああ。だが女はまんまと無罪判決を勝ち取った。裁判官の心を揺り動かしたのだ」
 アッサ・グレンデルは口角をいびつに吊り上げた。
 せっかくの美人が台無しになる、ひどく不気味な笑顔だった。もしも悪魔が実在して人を脅かすために笑ったなら、きっとこんな顔になるんだろう。
「法が人を裁いているのではない。人が人を裁くのだ。面倒くさがりで、傲慢で、独りよがりで、頭でっかちで、涙もろく、助平で、偏った思想を持ち、うぬぼれがひどく、功名心にまみれ、人を舐めきっていて、他人の話を聞きたがらない、そんな人間が独善と偏見で判決を下すのだ。公明正大など望むべくもない。そこさえわかっていれば裁判は簡単だ」
「今回も簡単ですか?」
「ちと厄介だな。枢機卿が我の知っている奴なら、不正……もとい本領を発揮できん。町中を自由に動けないというのも痛すぎる。根回しができん」
 アッサ・グレンデルは刑事裁判専門でいくつかの弁護をこなし、そのほとんどが敗訴となっている。とはいえ、弁護士としての能力は決して低くない。元々勝ち目のない裁判に挑むことが多かったため、戦績が振るわなかっただけのこと。
 あらゆる弁護士から見放された人の、最後に行き着く先が彼女のところなのだ。絶望的に不利な条件の弁護依頼のみを請け負い、そのうちいくつかは勝利している。勝ち星があること自体奇跡としか言いようがない。
 盤外戦術を駆使し、被告人のみならず裁判官や検察官、証言者までも有罪にした『史上最低の弁護』は今も伝説として語り継がれている。それだけのことをやってのけられるアッサ・グレンデルは、死刑がほぼ確定しているナジャにとって最後の希望だ。

A:ゆっくり裁判所へ向かう 8へ
B:早めに裁判所へ向かう 4へ

 

3

 町から数キロメートル離れた平原に、男たちは集結していた。
 領主ヘンリと戦うために集めた傭兵。その数なんと1000人。各々思い思いの武器を握り締め、整然と隊列を組み待機している。
「これだけの兵をよくぞ集められたものだ」
 1000人の兵を見渡して、アッサ・グレンデルが放心気味につぶやいた。
「ええ。自分でも驚いています。人口1200人の町でどうして1000人もの傭兵を見つけられたんだろう……とか、1000人もの傭兵を雇うお金がどこにあったんだろう……とか」
 あれは本当に不思議だった。ただ無心で駆けずり回っていただけだというのに、いつの間にか僕は1000人もの傭兵を味方につけていた。しかも彼らは雑兵じゃない。数多の修羅場を潜り抜けてきた、歴戦の傭兵たちだ。皆、顔つきからして兵(つわもの)の風格を漂わせている。
「僕は今回の件を通じて一つ大切なことを学びました。『人間、その気になればなんだってできる!』とかそんな感じのことを……」
「そ、そういうことなのか?」

 ――その日。
『魔女狩り領主』の治める小さな町を、1000人もの大傭兵団が急襲した。
 傭兵団は瞬く間に町を制圧。破壊の限りを尽くし、全てを略奪していった。

 それから僕は集めた傭兵団を再編成し、次々と近隣の町や村を襲っていった。傭兵団の規模は次第に大きくなり、いつしか巨大な軍事国家を形成するまでに膨れ上がっていた。
 名もなき傭兵団から誕生した軍事国家。僕とアッサ・グレンデルは、その初代国王として君臨することになるのだが、それはまた別のお話――。

エンディング1『この町傭兵だらけ』

 

4

 数え切れないほどの松明が、夜の町を明るく照らしている。野外に設営された裁判用の会場で、僕たちは開廷の時を待っていた。
 この町での裁判は、通常だと教会の中で行われる。でも今回は違う。広場に特設会場を設営し、その中央で行われる。枢機卿閣下を盛大に迎えるための特設会場だ。
 ――開廷まであと10分。傍聴席には500人を超える人たちが集まっている。今日視察に訪れるという枢機卿を一目見ようと――あるいは、40年ぶりの死刑判決が下されるかもしれない魔女裁判を見るために。
 僕とアッサ・グレンデルは、弁護席に立っていた。目の前に机があり、法令全書やいくつかの書類が置かれている。一応腰かけるための椅子も用意されているけれど、アッサ・グレンデルが立ちっぱなしなので僕もそれに習う。
 検察席には領主ヘンリの姿。自ら検察官として出廷し、ナジャの有罪を立証しようというつもりだろう。
 判事席には恰幅のいい老人と、裁判官が他2名。合わせて3人の裁判官が座っている。真ん中にいる老人が裁判長のようだ。
 ナジャの姿は……まだ見えない。どうしたんだろう。
「これより開廷いたします。起訴状を」
 柔和な声で裁判長が言った。
 ――いよいよだ。
 これから運命の魔女裁判が始まる。まだ法廷にナジャは来ていないけど、このまま審理を進めても大丈夫なものなのだろうか。
「被告人ナジャ・ハーンは、私が管理する魔女の取調室にて、魔女狩り担当の検査官をナイフで刺して殺害した。殺人罪及び魔女の罪で起訴されている」
 検察席に立つ領主ヘンリが、起訴状を読み上げた。
「おや。その被告人の姿が見えませんが」
 裁判長が目をきょろきょろと動かした。この裁判でアッサ・グレンデルが弁護する被告人――ナジャは、まだ裁判所に到着していない。
「すみません。少し手間取ってしまいました。まもなくこちらに到着します」
 入り口近くに立っていた係員が言い、裁判長はゆるやかにうなずいた。
「そうですか。それでは到着次第、被告人を入廷させてください」
 少し間が開くことになり、傍聴席がざわつき始めた。さすがに傍聴人が500人近くもいるとなると、みんながみんな静粛にはなれないようだ。
「やれやれ。幸先のよくないスタートだな」
 傍聴席の話し声に乗じて、アッサ・グレンデルが不満げにつぶやいた。
「ナジャがまだ来ていないのは、担当係官のミスでしょう? それでこちらが不利になるんですか?」
「裁判官の機嫌が悪くなる。機嫌が悪いと奴らは有罪判決を下したがるぞ」
「そんな。法廷の場で『機嫌』なんて……」
「完璧に公正な話し合いなどない。判決も裁判官の気分や性格によって甘くなったり厳しくなったりするものだ」
 彼女の話を聞いていると、ますます心配になってくる。元々限りなく勝ち目の薄いこの裁判。不安材料はこれ以上増やしたくないところだ。
「ときに、被告人のナジャというのは……確か貴様の妹だったか?」
 アッサ・グレンデルが唐突に尋ねてきた。そういえば……まだ話していなかっただろうか。彼女は国外追放された身なので、この国ではほとんどの時間を留置場で過ごしてもらった。あまり話ができなかったから、言いそびれてしまったようだ。

A:「弟です」 6へ
B:「妹です」 9へ

 

5毒を飲ませる

 役所からその報せを受けたときは、思わず声を上げてしまいそうになるほど驚いた。
 裁判の日を待たずして、領主ヘンリが倒れ、病院へ緊急搬送されたというのだ。倒れた原因は『毒薬を飲まされた』からだという。
 そこまでを聞いた時点でわかった。これはアッサ・グレンデルの仕業だと。
 どうやって脱出したというのか。アッサ・グレンデルは留置場を抜け、ヘンリに毒薬を飲ませたそうだ。その後彼女は自ら警察に出頭し、今は厳重な監視の下拘束されているという。
 裁判前に起こってしまった事件――。
 ナジャとアッサ・グレンデルの命運は、これからどうなってしまうのか……。

A:19へ

 

6

 証言台にやってきたのは――――幼い男の子だった。全く知らない子供だ。
「被告人。歳はいくつだ?」
 いぶかしげに男の子を見つめて、アッサグレンデルが尋ねた。
「6つ……」
 少し迷って男の子が答える。その言葉を聞いたアッサ・グレンデルの唇がわなわなと震えた。
「――ヘンリ! 貴様っ! ド変態が! まだ子供ではないか! 幼子を! 部屋に連れ込んで! 隅々まで調べたというのかこの外道め!」
 ヘンリに向かって大声でわめき散らすアッサ・グレンデル。
 ――まずい。早く止めないと。
「しかも男だと!? 節操なしか! この腐れ○○○! ヘンリからヘンティーに改名しろ!」
「落ち着いてください! アッサ・グレンデル!」
「これが落ち着いていられるか! ええい放せ!」
 検察席に向かっていく彼女を止めようと、羽交い絞めして押さえ込む。アッサ・グレンデルは、僕の腕を引き千切りそうなくらい凄まじい勢いで暴れ出した。この細い体のどこにそんな力があるのだろう。
「あの子供は傍聴人です! 間違えて出てきただけですよ! 『被告人』の意味もわかってないんです! そもそもナジャは女性ですよ!」
「なんと……! さっき『弟』だと言っていたではないか!」
「言い間違えました。本当は妹です!」
 ――裁判長がわざとらしく咳払いした。「おほん!」という大きな声に驚き、僕とアッサ・グレンデルはほぼ同時に振り返った。
「ただいま弁護側に不適切な発言がありました。よって、弁護人アッサ・グレンデルに法廷侮辱罪を適用し、本法廷からの退廷を命じます」
「なにィ!?」
 裁判長の命令を受け、にわかに法廷内があわただしくなる。複数の係員に捕まえられ、アッサ・グレンデルは法廷からつまみ出された。
「不適切なのは、発言だけではないと思うがねぇ」
 勝ち誇った笑みを浮かべてヘンリがつぶやく。
 そう。事実この時点で決着がついてしまったのだ。
 弁護人不在の場合は、審理続行不可能とみなされ即有罪が確定する。後は検察側の求刑をそのまま受け入れるのみだ。間もなくナジャに死刑判決が下されるだろう。

 ――なんてことだ。
 僕は――――妹を助けることができなかった。
 視界の端に、真っ青な顔で震えるナジャの姿が映り込んでいた。頭の奥で、大切な何かが音を立てて崩れた……気がした。

ゲームオーバー

 

7

 魔女の罪により国外追放となったアッサ・グレンデル。しかし彼女の法曹資格は失われていなかった。
 弁護士会には弁護士名簿という物があり、数千人もの有資格者たちが弁護士として登録されている。この登録情報は膨大な枚数の紙媒体に記録されていて、弁護士会の倉庫でほこりを被っているらしい。弁護士会が主に使用するのは、氏名など簡単な情報のみが記載された弁護士名簿だそうだ。
 一方で、検察局にはこれまで犯罪者として裁かれてきた人たちの記録が管理されている。こちらもやはり紙の束。それも数十万枚。しかも、全ての記録が一括管理されているわけではなく、その裁判が為された地方ごとに小分けで残されている。
 この弁護士名簿と裁判記録をいちいち照らし合わせようと思ったら、大変な労力が必要となる。そのため登録情報の照会は滅多に為されない。裁判で有罪が確定しても、自動的に弁護士としての登録が抹消されるわけではないのだ。
 弁護士名簿から名前を消すためには、誰かが弁護士会に登録抹消の申請をする必要がある。アッサ・グレンデルに関して言えば、その手続きはされていなかった。
 登録された弁護士なら、たとえそれが故人や服役中の囚人であったとしても弁護を依頼することはできる。法廷に来られるかどうかは別問題として。
 アッサ・グレンデルは魔女の罪で国外追放となった身分。だけど登録された弁護士である以上、弁護人としての資格は十分なはず。
 そう思い、弁護士会に『アッサ・グレンデルを弁護人として招くことが可能かどうか』確認してもらったところ、条件付きで特別に許可が下りた。彼女には裁判が始まるまで留置場へ入ってもらい、閉廷後は再び国外へと移送される。
 アッサ・グレンデルに弁護の依頼を引き受けてもらえるかどうかが、一つ大きな問題だった。ただ、これに関しては引き受けてもらえるだろうという確信があった。
 有り体に言ってしまえば、『魔女』という彼女の立場を利用させてもらったのだ。今回の裁判で、領主ヘンリの犯してきた悪行が明るみに出れば、アッサ・グレンデルの『魔女』という汚名は払拭される。国外追放となった彼女にとって、この依頼は法廷でヘンリを告発できる貴重なチャンスのはずだ。
「まずは方針を決めるとしよう。あくまで身の潔白を主張するか、あえて罪を認めてしまうか」
 洞窟を出て国境へと向かいながら、アッサ・グレンデルが提案した。方針が定まっていなければ、魔女裁判を戦いきることができないからだ。
 魔女の裁判は全て二日以内に終了する。増え続ける魔女裁判に対応するための特別法で、例外はない。長引かせてはならないのだ。そしてそれは、殺人事件が絡んでいても変わらない。
 最長でも二日。それでナジャの運命は決する。あまりにも短い時間。主張をコロコロ変えている余裕はない。
「完全無罪を主張すれば、少なからず裁判官の反感を買うことになるだろう。もし無実を証明できなければ、死罪となる可能性は高いぞ」
「証明できなければ……ですか?」
「本来ならば、弁護側が無実を証明する必要はない。検察側が有罪を立証できていなければ、黙っていても無罪だ。しかし、被告人の犯行であることを完全に証明するのは難しい。証人が嘘をついたり勘違いすることもあり得る。そこで、だ。国の裁判には、必要十分な根拠があれば有罪――というルールがある。この『必要十分な根拠』というのがなかなかに曲者でな。どうあがいても裁判官の主観が判決に反映される。あいまいで危険な言葉だ」
 結局、判決は裁判官の裁量に委ねられるということか。ある意味究極の運試しだ。
 裁判で直接的証拠でもなんでもない『犯行動機』について取り沙汰されるのも、『根拠』を強める狙いがあるのかもしれない。それがどの程度心証を揺さぶれるのかはわからないけど……。
「特に刑事裁判では、訴えられた側が無罪となるケースは稀だ。そもそも疑うに足る根拠があるから逮捕されるわけだからな。弁護士が毎度のように勝つのなら、警察は誤認逮捕ばかりしていることになる。だが、警察の誤認逮捕率がそんなに高くなることはあり得ん。無罪判決というのは異常事態なのだ。だからこそ冤罪も起こりやすい。裁判官は開廷の前から『起訴されるくらいだから、まあ有罪だろう』という気持ちで裁判に臨む」
「今の段階で、もう勝ち目はないんでしょうか」
「無罪を主張すれば負ける公算が高い。温情に訴え、減刑を求めれば極刑は免れるかもしれん。どうする? 我は別にどちらでも構わんよ」
「ナジャは無実です。でも……」
「――被告が死のうが生きようが、我はどちらでも構わん。さあ選べ。無罪を主張するのか。減刑を求めるのか」
 ナジャは無実だ。本人もそう言っていた。人を傷つけられるような性格じゃないし、まして殺人なんて……。
 アッサ・グレンデルの言うことはわかる。減刑を求めれば、生き残れる確率が増すということなんだろう。
 だけどそれは、やってもいない殺人罪を認めるということだ。ナジャにそんなものは背負わせたくない。
 ――無罪を主張するか。
 ――罪を認めて減刑を求めるか。
 どちらを選択するのがナジャのためになるだろう……。

A:完全無罪を主張 12へ
B:減刑を求める 2へ

 

8

 数え切れないほどの松明が、夜の町を明るく照らしている。野外に設営された裁判用の会場で、僕たちは開廷の時を待っていた。
 この町での裁判は、通常だと教会の中で行われる。でも今回は違う。広場に特設会場を設営し、その中央で行われる。枢機卿閣下を盛大に迎えるための特設会場だ。
 ――開廷まであと10分。傍聴席には500人を超える人たちが集まっている。今日視察に訪れるという枢機卿を一目見ようと――あるいは、40年ぶりの死刑判決が下されるかもしれない魔女裁判を見るために。
 僕とアッサ・グレンデルは、弁護席に立っていた。目の前に机があり、法令全書やいくつかの書類が置かれている。一応腰かけるための椅子も用意されているけれど、アッサ・グレンデルが立ちっぱなしなので僕もそれに習う。
 検察席には領主ヘンリの姿。自ら検察官として出廷し、ナジャの有罪を立証しようというつもりだろう。
 判事席には恰幅のいい老人と、裁判官が他2名。合わせて3人の裁判官が座っている。真ん中にいる老人が裁判長のようだ。
「これより開廷いたします。まずは起訴状を」
 裁判長がやや大きな声で言った。それまでざわついていた傍聴席が、段々と静かになっていく。
 検察席のヘンリは、机の上から紙を一枚手に取った。
「被告人ナジャ・ハーンは、私が管理する魔女の取調室にて、魔女狩り担当の検査官をナイフで刺して殺害した。殺人罪及び魔女の罪に問われている」
 名前を呼ばれて、ナジャはびくびくと肩をすぼめた。500人もの傍聴人に囲まれた異様な雰囲気が、ナジャを萎縮させてしまっているようだ。
「それでは冒頭陳述、続けて証人尋問に移りたいと思いますが……。被告人、大丈夫ですか? 少し顔色が悪いようですが」
 裁判長がナジャを気遣って優しく尋ねた。『被告人』という呼称に反応できないのか、ナジャは答えずじっとうつむいている。
「被告人ナジャ・ハーン」
「――ひゃ、ひゃい! らい……らいじょうぶれひゅっ! でしゅ! でふっ!」
 ……返事をしようとしているけれど、全く発音できていない。こんな調子でまともな証言ができるのだろうか。
「初々しいですね。私も初めて法廷に立ったときは、緊張のあまりオムツを濡らしたものです」
 嬉しそうに裁判長が微笑む。その直後、アッサ・グレンデルがいきなり机を殴りつけた。
「異議あり」
 明らかに苛立った様子でアッサ・グレンデルが異議を唱える。
「冒頭からセクハラかますとはやってくれるな裁判長。今この場で訴訟を起こされたいか?」
「こほん。えー、発言を撤回します」
 目を左右に泳がせながら、裁判長が発言を取り下げる。
「裁判長。気にすることはありませんぞ。あの女は異端審問官を殺害した恐ろしい魔女なのです。魔女に人権はありません」
 嫌みたらしい口調でヘンリが言った。直後、またもアッサ・グレンデルが勢いよく机を殴りつけた。
「異議あり。判決が下るまで被告人は被告人だ。犯人ではない。初歩中の初歩であろうが。素人は判決まで口を閉ざしていろ……!」
 すかさず裁判長が「そうですね」と同調する。さっき言動を咎められたせいか、少し気が弱くなっているようだ。
「くそっ! こんなところを叩いても、チリ一つ出ん……!」
 アッサ・グレンデルが頭を抱えた。始まりからリズムを崩されたことで、相当にまいっているようだった。

A:アッサを励ます 9へ
B:なにも言わない 17へ

 

9

 最初に証言台へ立たされたのは、僕の妹ナジャだった。
 怯えきったその姿は、まるで目が開いて間もない子犬のよう。ナジャは落ち着きなく周囲に視線を走らせ、時折不安げに肩を押さえている。
「被告人。名前と職業をお願いします」
 ナジャの不安を察してなのか、元々そういうしゃべり方をする人なのか。ひどく優しい声で裁判長が言った。
「ナ、ナジャ・ハーン。兄と一緒に雑貨店を……。じゅ、16歳独身。趣味は――」
「ああ、その辺で結構ですよ」
 裁判長に止められて、ナジャは恥ずかしそうにうつむいた。
「なにをやっとるんだ。貴様の妹は」
 不機嫌そうに言ってアッサ・グレンデルが腕を組んだ。そういえば……10代にしか見えない彼女だけど、20年前に弁護士をやっていたということは、少なくとも30歳はとうに越えているはずだ。年齢の話題はあまり出さない方がいいかも知れない。
「それでは事件の日にあなたが見たことを証言してください」
 裁判長に促され、ナジャが震えながらうなずく。
「と、取調室に入ってすぐ、急に眠くなって意識を失いました。それから先のことは……よく覚えていません……」
 ものの十数秒でナジャの証言は終わってしまった。事前に僕がナジャから聞いていた話と全く同じ内容だった。事実、事件が起こったとき眠っていたため、他に証言のしようがないのだろう。
「被害者と以前に関わったことはあるか?」
 腕を組んだままアッサ・グレンデルが質問した。
「……多分、知らない方です。あ、いえ。その……私、ずっと意識がなかったから、被害者の方を見てないんです。顔も全くわかりません」
「――裁判長。聞いての通りだ。被告には被害者を殺害する動機がない。接点は皆無。互いの噂すら知らんであろう。それとも検察側には、被告と被害者が関わり合っていたことを証明する用意でもあるのか?」
 ナジャと異端審問官に繋がりなんかあるわけがない。アッサ・グレンデルはそのことをわかった上で、検察にプレッシャーをかけている。弁護人と検察官の間で静かに火花が散った。
「動機ならある。きっと急に怖くなったのだろう。取り調べられることを恐れ、部屋にあったナイフで検査官を……」
「そんなことをすれば余計に罪が重くなるだろうが。だいたい、貴様はその瞬間を見たのか?」
「見た。被害者が被告人の手によって殺害されたその瞬間を、はっきりと」
 アッサ・グレンデルは唇を噛んだ。今のところ圧倒的に劣勢だ。『ナジャが身勝手な理由で検査官を殺害した』とする検察の主張を崩せなければ、温情に訴えるどころじゃない。ヘンリが事件の目撃者であるため、『動機のない』ことがむしろアダとなってしまっている。
「事前に調査できなかったから、我らには戦うための武器――すなわち情報がない。とにかく、事件の関係者にもっと証言させるぞ」
 アッサ・グレンデルの言葉にうなずいて応える。まずは情報がなければ話にならない。
 ヘンリに証言をさせれば、間違いなくこちらにとって不利な材料が飛び出してくるだろう。できれば事件を外から見ていた『第三者』の証言が欲しいところだ。
 前情報によると、事件現場のすぐ近くで見張りをしていた人物がいるらしい。その人の話を詳しく聞くか……あえてヘンリに証言させるか。

A:ヘンリに証言を求める 13へ
B:見張りの兵に証言を求める 11へ

 

10

 裁判となれば、敗訴する可能性はきわめて高い。それはアッサ・グレンデルに限らず、誰が弁護人であってもそうだろう。
 そして、負ければその瞬間ナジャの死刑が確定する。本気でナジャを助けようというのなら、正々堂々戦っている場合じゃない。手段を選ばず動く必要がある。
 不本意ではあるけれど、ここは裁判以外の手を打つべきだ。勝算を考えれば、そちらの方がずっといい。
「裁判で勝つのはほぼ不可能です。なんとか裁判以外の手段でナジャを救出しましょう」
「賢明だな。いや、殺人罪に問われた魔女を救出しようとしている時点で、既に底知れぬ阿呆だが。ともかく、具体的な戦略を練るとしよう」
 アッサ・グレンデルはのどを鳴らして笑った。瞳の奥に宿る光が、悲壮な覚悟を映し出していた。

A:1000人の傭兵を雇う 3へ
B:毒草を集める 15へ

 

11

 証言台に若い男が立った。口をかっちりと結んだ、変に生真面目そうな雰囲気の男性だ。ガラクタを継ぎ合わせて作ったような、安っぽい兜と鎧を身に着けている。
 彼は事件の起きた日、現場となった取調室の前で見張り番をしていた。証言からなにか突破口を見つけられればいいのだけど……。
「それでは証人。事件の起こった日、あなたが見たことを証言してください」
 裁判長に証言を求められ、証人は「了解であります!」と元気良く返事をした。
「取調室に近づいてはならない決まりですので、私は取調室へと続く廊下を見張っておりました。すると、高名な異端審問官の方がいらっしゃいましたので取調室へお通ししました。異端審問官の方が取調室へ入られてすぐ、ヘンリ様の悲鳴が! 自分はすぐ声の元へ急行しましたが、『取調べ中は入るな』と言われておりましたのでドアを叩いて呼びかけたのであります」
 証人はそこでいったん言葉を切った。やっぱり前提は変わらない。事件現場にいたのは3人で、ヘンリとナジャ以外犯行が可能だった人物はいない。眠っていたナジャに証言は不可能。圧倒的に不利な状況だ。
「扉を開けると、ヘンリ様が外へ出てこられました。なにがあったのか気になったので、自分はそっと取調室の中を覗きました。すると! 部屋の中には刺された被害者と気絶した被告人の姿が! それからすぐ他の仕事仲間も駆けつけてきて、被告人を確保したのであります!」
 見張り兵の証言はこれで終わりか……。事件の瞬間は目撃していないようだ。
 ナジャが人を刺すはずはない。ヘンリ以外に目撃者がいれば、そのことがはっきりするのに……。
「それから、被害者の遺留品を見つけたので確保したであります! ズバリ、これであります!」
 証言者がヘンリの元へと走り、検察席の裏からなにかを取り出した。先端の方がぐねぐねと曲がった……鉄の棒だ。
「お、おいっ! 貴様! それは……!」
 鉄の棒を見て、アッサ・グレンデルが大きな声を上げた。
「本気か!? 本当にそれを被害者が持ち込んだというのか!」
「間違いないであります!」
「馬鹿なっ……!」
 アッサ・グレンデルは驚愕の表情を浮かべ、机に何度も拳を叩きつけた。
 ――どうしたんだろう。なぜか彼女は怒っているようだ。あの鉄の棒に、どんな意味があるというのだろう。
「どうかしたのですか? 弁護人」
 裁判長が尋ねてくる。
「その棒をよく調べてみろ……。そいつは……」
 アッサ・グレンデルに促され、鉄の棒を調べる作業が始まった。運ばれてきた鉄の棒を、裁判官らがいろんな角度から眺め回していく。
「これは……火の紋章ですか。魔女の印ですね」
 棒の先端を正面から見て、裁判長が言った。
「そう……そうだ。その棒は……罪なき者に『魔女の印』を焼きつけるための道具なのだ!」
 ――傍聴席にどよめきが巻き起こる。驚くのも無理はない。異端審問官が魔女のでっち上げを行っていたとなれば、魔女裁判の歴史そのものに対して疑念が生まれてくる。
 あの棒が魔女の印をつけるためのコテだったのか。20年前、アッサ・グレンデルの胸に印を焼きつけた……。だから彼女はあれを見て驚いたんだ。
 500人の騒ぎ声がこだまする中、アッサ・グレンデルが小さく口を開き「喜べ依頼人。勝機が見えた」とささやいた。
「どうやらこれではっきりしたようだな。被告人ナジャ・ハーンに罪はなかったということが!」
 裁判長へ向けて、アッサ・グレンデルが叫んだ。
「どういうことですか? 弁護人」
「被告人はこう証言した。『意識を失い、事件のことは覚えていない』と。ショックで記憶を失うほど恐ろしい目に遭ったのだ」
「恐ろしい目……とは?」
「被害者と加害者が逆になってしまったのだ。そう。先に危害を加えようとしたのは、被害者の方だった!」
 ――傍聴席のどよめきが、ますます大きくなっていく。アッサ・グレンデルの鋭い声だけが、騒然とした法廷の空気を突き抜けていた。
「被害者は、ナジャ・ハーンに襲いかかった! 魔女の印をつけるため、その焼きゴテで! しかしとっさの反撃を受け、逆にやられてしまったのだ!」
 アッサ・グレンデルがドンと机を叩く。調教された飼い犬のように、傍聴席の騒ぎ声が小さくなった。
「弁護人は、正当防衛を主張するつもりですか!?」
「そうだ! 凶器が現場にたまたま置いてあった物であることから、事件は突発的に起こったと考えられる。また、焼きゴテは被害者の物だったとの証言もある。被害者がそのコテで『誰かを魔女に仕立て上げようとしていた』ことは明白だ! 凶行に走ったのは検査官であり、ナジャ・ハーンは身を守っただけだ!」
「しかし、目撃者ヘンリ氏の証言によりますと、加害者は被告人です」
「そのコテは、横から見ても単なる鉄の棒にしか見えん。だが恐らく、焼きゴテを突きつけられた被告人にだけは見えたのだろう。黒く焼けた魔女の印がはっきりと! ゆえに恐れおののきナイフを取った! その様子が目撃者のヘンリからすれば、『被告人が一方的に被害者を刺した』ようにしか見えなかったのだ!」
「……なるほど。辻褄は合いますね」
 裁判長が納得しかけたそのとき、検察のヘンリが「異議あり!」と叫んだ。
「弁護側の主張は推測に過ぎない! 被告人が記憶を失っているかどうかも怪しいものだ! 事件が故意でなかったと言うのなら、証拠を出してみろ!」
「ふっ! 勘違いも甚だしいな!」
 アッサ・グレンデルは反論したヘンリを鼻で笑った。
「勘違いだと!?」
「被告人の有罪を証明する挙証責任は検察側のみが負うものであり、弁護側が無実を証明する必要などそもそもない! 貴様はしくじったのだ! 故意による殺人であったことを裏付ける証拠がないのなら、少し黙っていろ!」
 ヘンリは口をパクパクさせながら絶句した。ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだろう。論争はアッサ・グレンデルの完全勝利。残る問題は裁判官がこれをどう判断するかだ。
「確かに弁護人の主張、筋は通っています。反証もないようですね。事件は正当防衛であり、殺人などではなかった」
 ふと検察側を見ると、ヘンリが片手を肩の高さ辺りで上下させていた。ここで挙手するかどうかを、迷っているようだった。
「ううっ……! 異議……異議を……」
「引き際だぞヘンリ。審理が続けば、あの焼きゴテの出どころについても言及されるであろう。それは貴様の望むところなのか?」
 アッサ・グレンデルの言葉に、ヘンリは固く拳を握り締めて「ぬぅ……!」とうなった。
 ――そうか。あのコテは、ヘンリがこれまで犯してきた不正の証拠品でもある。枢機卿が見ているこの場で、あまり追求されたくはないだろう。
「弁護側の主張に対して異議は……異議はない。確かに事件は正当防衛だった可能性がある。また、取調べの開始時点で、ナジャ・ハーンの身体に魔女の印は確認できなかった。魔女の嫌疑に関して彼女は潔白だ」
 しぼり出すようなヘンリの言葉を聞いて、裁判長は大きくうなずいた。
「どうやら、双方納得のいく結論が出たようですね。裁判官の意見もまとまりました。それでは、被告人ナジャ・ハーンに判決を言い渡します」
 裁判長が咳払いを一つ。異議を唱える人は、今度こそ誰もいなかった。
「被害者が焼きゴテを持っていたことや、被告人に動機がなかったことなどから、この事件は正当防衛であった可能性が高いと思われます。よって被告人は無罪。無罪となります」

A:16へ

 

12

 僕とアッサ・グレンデルは、薄暗い石造りの廊下を並んで歩いていた。
 魔女の罪ですでに有罪判決を受けているアッサ・グレンデルは、本来なら裁判中以外は檻の中にいなければならない。けれど異端審問官殺害事件の犯人である可能性が高いナジャを自由にはできないとかで、留置場館内のみ監視付きではあるけれど、アッサ・グレンデルの自由行動が特別に認められた。被疑者に面会させろ――という弁護人の願い出が認められた形だ。
「やれやれ。面会時間より手続きにかかる時間の方が長いとは、七面倒なことよ」
 アッサ・グレンデルの愚痴を聞きながら、ナジャのいる独房へと向かう。
 狭く暗い廊下の向こう。隔離された房の一室で、『被疑者』はじっと静かに座り込んでいた。
 ――ナジャ。
 今年で16歳になる僕の妹。
 華奢な体格の割りに働き者で、浅黒い肌が健康的な自慢の妹だ。留置場生活でまいってしまったのか、今は少し疲れた顔をしている。
「ナジャ。弁護を引き受けてくれる人が決まったよ。弁護士のアッサ・グレンデルさまだ」
 声をかける。ナジャは顔をこちらへ向け、のそり……と立ち上がった。
「妹のナジャです」
 まずは弁護を引き受けてくれたアッサ・グレンデルに紹介する。アッサ・グレンデルは片眉を上げてナジャを見つめた。
「あまり似ておらんな。肌の色とか」
「腹違いの妹ですから。でも血はちゃんと繋がってます。目に入れても痛くない大切な妹です」
「実の妹を目に入れても痛くないほど溺愛するのはどうかと思うが……」
 アッサ・グレンデルはやや呆れ顔でつぶやき、ナジャの方へと向き直った。
「挨拶はいい。事件のことを話せ」
 アッサ・グレンデルの言葉に、ナジャは短くうなずいた。僕にはあまり事件のことを聞かせてくれなかったけれど、弁護士が相手ならちゃんと話してくれるだろうか。
「私は魔女の嫌疑をかけられ、その日取調室へ案内されました。そこで殺害事件が起こり……異端審問官の方が亡くなられ、私の手には凶器があった……だそうです」
「『だそうです』だと? もっとはっきり話さんか。その目で事件を見たのであろう?」
「記憶がないんです。取調室に入ったら、なんだか急に眠くなってしまって……。ベッドがあったから、ついウトウトと」
「取調べの前、なにか飲まされなかったか?」
 アッサ・グレンデルの質問に、ナジャは小さく笑ってうなずいた。
「お紅茶をいただきました。とってもおいしかったですよ」
 紅茶……か。紅茶に入れる砂糖が高級品なので、お金持ち以外はほとんど縁のない飲み物だ。
 魔女の嫌疑がかけられた女性を、紅茶でもてなしたりするだろうか。どう考えても怪しい。
「アッサ・グレンデル。もしかして、紅茶に眠り薬が……」
「証拠はない」
 なにがそんなに楽しいのか、アッサ・グレンデルはのどを鳴らして笑った。ナジャが薬を飲まされたときのことを想像したのかもしれない。
 ナジャはしきりに首をひねっている。事件のことを思い出そうとしているようだ。
「ふわふわした意識の中で、目の前に乾いた物が落ちてきたような気がします。あれは服……? それとも……」
「ヘンリの阿呆め。また取り調べの最中に脱ぎおったな」
「え……? あの、領主さまが服を? お脱ぎになったのですか? どうしてそんな……」
 ナジャが目を白黒させる。アッサ・グレンデルは答えにくそうに視線を逸らした。
「乾布摩擦だ」
 腕を組み、アッサ・グレンデルが短く答えた。
「でも、どうして取調室で乾布摩擦なんか――」
「断じて乾布摩擦だ! それ以外に服を脱ぐ理由などないっ!」
 壁に拳を叩きつけて、アッサ・グレンデルが怒声を上げる。ナジャは肩をすぼめて「すみません……」と謝った。
「ええいっ! 他に手がかりはないのか!? 『眠ってました』では話にならんぞ!」
「僕の調べだと……事件の数時間前、公衆浴場を利用するヘンリの姿が大勢に目撃されていますが」
「くっ……! 卑しい男の卑しい行動に関してしか情報がないとは……」
 事件が起こった時刻、ヘンリは事件現場にいたことが確認されているため、浴場を利用していたというのはアリバイにならない。この情報はなんの役にも立ってくれないだろう。
「現場には魔女の嫌疑をかけられた女と領主ヘンリ。女に事件の記憶はなく、無実を証明してくれる者もおらん。完全にお手上げだな」
「ナジャが犯人だと言っているのはヘンリだけですよね。彼も有力な容疑者候補のはずでは」
「だが、ナジャは魔女だ」
 アッサ・グレンデルは断言した。後ろでナジャがぎくりとすくみあがり、両手で肩を抱き込んだ。
「妹は、魔女なんかじゃありません」
「――事実がそうであったとしても、検察側、裁判官、傍聴人、証言者は、みな疑惑の目を向けてくるだろう。『あの者は恐ろしい魔女に違いない!』――とな。心証の面でも、裁判は圧倒的にこちらが不利だ」
 ナジャは暗い表情でうつむき、唇を噛んだ。見ているだけで不安の大きさが伝わってくる、痛々しい面持ちだった。
「それでも貴様らは無罪を主張するというのだな。敗色は濃厚。そして負ければ死だ」
 ぞっとするほど邪悪に歪んだ笑みを浮かべて、アッサ・グレンデルが言った。彼女の言葉は単なる脅しじゃない。事実、無罪判決を求めて勝訴する可能性はほとんどないと言っていいだろう。
 今ならまだ戦略を変えることもできる。あくまで無実を主張するべきか、減刑を求めて戦うべきか。僕は……。

A:それでも無実を主張 14へ
B:路線変更。減刑を求める 8へ

 

13

 僕たちはヘンリに証言を求めた。彼が口を滑らせることに期待して。でも、その選択は間違いだった。

 ヘンリは事件の一部始終を証言。その内容は『ナジャがナイフで被害者を殺害した』というものだった。
 この証言に対しアッサ・グレンデルが何度も揺さぶりをかけたけれど、新たな可能性が浮かび上がってくることはなかった。
「どうやら、議論は出尽くしたようですね」
 重々しい口調で裁判長が言った。
「被告人、ナジャ・ハーンは有罪。検察は被告人が犯罪を行ったとする必要十分な根拠を提示しました。よって有罪となります!」
「ぐっ……!」
 アッサ・グレンデルが声を詰まらせた。固めた拳がぶるぶると震えていた。
 視界の端に、真っ青な顔で震えるナジャの姿が映り込んでいた。
 有罪判決……事実上の死刑宣告が下ってしまった。僕はナジャを助けられなかったのか……? 
 頭が働かない。視界が黒く閉ざされていく。閉廷を告げる裁判長の声が、どこか遠くで響いていた――。

ゲームオーバー

 

14

 数え切れないほどの松明が、夜の町を明るく照らしている。野外に設営された裁判用の会場で、僕たちは開廷の時を待っていた。
 この町での裁判は、通常だと教会の中で行われる。でも今回は違う。広場に特設会場を設営し、その中央で行われる。枢機卿閣下を盛大に迎えるための特設会場だ。
 ――開廷まであと10分。傍聴席には500人を超える人たちが集まっている。今日視察に訪れるという枢機卿を一目見ようと――あるいは、40年ぶりの死刑判決が下されるかもしれない魔女裁判を見るために。
 僕とアッサ・グレンデルは、弁護席に立っていた。目の前に机があり、法令全書やいくつかの書類が置かれている。一応腰かけるための椅子も用意されているけれど、アッサ・グレンデルが立ちっぱなしなので僕もそれに習う。
 検察席には領主ヘンリの姿。自ら検察官として出廷し、ナジャの有罪を立証しようというつもりだろう。
 判事席には……恰幅のいい老人と、裁判官が他2名。合わせて3人の裁判官が座っている。真ん中にいる老人が裁判長のようだ。
 ナジャは弁護側と証言台の間に置かれた椅子へ座らされていた。余程緊張しているのか、落ち着きなく周囲へ視線をさまよわせている。
 ――緊張しているのは僕も同じだった。傍聴席の喧騒も気にならないほどに。
 この裁判でたった一人の妹を失ってしまうかもしれない。そう考えると、とても落ち着いてなどいられなかった。
「おい」
 隣に立つアッサ・グレンデルが声をかけてきた。
「そう暗い顔をするな。さっき敗色濃厚だと言ったが、あれは嘘だ。貴様の妹が犯人だった場合、ああ言って脅せば真実を話すかもしれんと思った。試すような真似をして悪かったな」
「ですが、刑事裁判の有罪率は9割以上だと聞いたことがあります。確率的に見ても、厳しい勝負なのでは……」
「そもそも無罪判決を目指して戦う者の絶対数が少ないから、それが有罪率に反映されておるだけだ。誤認逮捕はそうそう起こらんし、起訴の段階で証拠は固まっておる。無罪判決を勝ち取ろうと考える方が少数派だ」
 そこまで言ってアッサ・グレンデルはニヤリと笑った。彼女には考えがあるようだ。その瞳は勝利への確信に満ちあふれている。
「被告が無実であることを我々は知っている。そして……貴様の妹が犯人でなかった場合、怪しいのは目撃者のヘンリだ。叩けば必ずホコリは出る」

 ――判事席がにわかにあわただしくなった。どうやら時間がやってきたようだ。運命を決める魔女裁判の時間が――。
「これより開廷いたします。まずは起訴状を」
 裁判長がやや大きな声で言った。それまでざわついていた傍聴席が、段々と静かになっていく。
 検察席のヘンリは、机の上から紙を一枚手に取った。
「被告人ナジャ・ハーンは、私が管理する魔女の取調室にて、魔女狩り担当の検査官をナイフで刺して殺害した。殺人罪及び魔女の罪に問われている」
 起訴状の内容が読み上げられた。ナジャは萎縮しきった様子で肩を押さえた。
「忌むべき魔女が法の守り手である異端審問官を殺害……。許しがたい犯罪です」
 重々しい口調で裁判長がつぶやく。早くも心証は有罪に傾いているようだ。
「異議だ。裁判長。判決が下るまで、被告人を犯人として扱ってはならん」
 冷たい口調でアッサ・グレンデルが異議を唱える。裁判長は深くうなずき「軽率な発言でした。撤回します」と答えた。
「落ち着いているのだな、アッサ・グレンデル。その後の人生はどうだ? 後悔しているのではないか?」
 ヘンリは見下すような視線をこちらに送ってきた。それに対しアッサ・グレンデルは――。
「ああ……。我も少し学習したよ。ときに感情は、内へ秘めるべきだということがな……」
 アッサ・グレンデルの言葉を聞いて、ヘンリはせせら笑った。僕は――思わず体が震え出すのを止められなかった。とても、恐ろしくて。
 ――彼女が落ち着いている?
 その洞察は間違っている。彼女はすでに何度も感情を爆発させている。
 僕にはわかる。すぐ傍で感じている。全てを焼き尽くさんばかりに燃え上がる、アッサ・グレンデルの執念と闘志を……!
「では、検察側から冒頭陳述を――」
 ヘンリが手元の書類を取ろうとした瞬間、アッサ・グレンデルが凄まじい勢いで机を殴りつけた。ガツッという大きな音が鳴り響き、ヘンリが驚いた様子で動きを止める。
「検察側の横暴に対し、異議を申し立てる……!」
 恐ろしくどすの利いた声で言いつつ、アッサ・グレンデルはヘンリをにらみつけた。殺意すら込められていそうな攻撃的視線を受けて、ヘンリは少しひるんだ様子だった。
「冒頭陳述は我が行う……! その権利は弁護側にもあるはずだ!」
「い、異議あり! 被告人の有罪を証明する挙証責任は検察側のみが負うものであり、そのため冒頭陳述は――ああっ!」
 アッサ・グレンデルの投げつけた分厚い法令全書を顔面に受け、ヘンリは向こう側へひっくり返った。
 軽く「ふん」と鼻を鳴らし、アッサ・グレンデルが口を開く。
「此度の裁判は『魔女裁判』であると同時に殺人の罪を問うものでもある。『魔女の罪』と『殺人罪』。これらが同時に証明されれば、被告人は死刑となるやもしれん。――だがっ!」
 アッサ・グレンデルが机に平手を打ちつけた。久しぶりの法廷だからか、すこぶる気合いが入っている。
「ここ数十年、魔女の罪で死刑となった者はおらぬ。皆気づき始めておるのだ。魔女裁判が抱えている問題について。この法廷で弁護側は、被告人の完全無罪を主張すると同時に、異端審問の有り方を皆に問う」
 ――ヘンリがようやく立ち上がった。検察席から毒々しい視線を僕にぶつけてくる。にらむなら隣の弁護人にしてほしいところだけど、どうやらその度胸はないらしい。
「今宵! 長く続いた魔女狩りの歴史は幕を閉じる! 善良なる傍聴の衆よ! 貴様たちは歴史の証人となるであろう!」
 アッサグレンデルが大きな声で宣言した。傍聴席にざわめきが広がり、その声が徐々に大きくなっていく。
 瞬く間に法廷内は騒然となった。無数の話し声が飛び交い、ときに野次や拍手も聞こえてくる。
「相変わらずですね。法廷潰しのアッサ・グレンデル」
 雑然とした空気の中、裁判長が穏やかに話しかけてきた。
「久しいな。裁判長」
 アッサ・グレンデルが口角をいびつに吊り上げた。どうやら2人は顔見知りだったようだ。
「アッサ・グレンデル。あなたが姿を消してからというもの、法曹界は火の消えたように活気を失ってしまいました。また元気なお姿を拝見できて嬉しい限りです」
「法曹界など知らん。我にとって重要なのは己のことだけだ。さあ、とっとと審理を進めよ。事件の目撃者、領主ヘンリの証言を聞かせるのだ」
「まだ検察側の冒頭陳述が終わっていませんが……」
「必要ない。検察官ヘンリは此度の事件を直接目撃しておる。事件の全容は、彼奴の証言によって明らかとなるであろう!」
 アッサ・グレンデルの蛮声が、法廷内に鋭く響き渡った。その声を受けて、騒然としていた傍聴席が水を打ったように静まり返った。
「そういうことでしたら、まあいいでしょう。これより証人尋問に入ります」
 裁判長の言葉を聞いて、アッサ・グレンデルは満足そうにうなずいた。
 さすが『邪道賢人』。冒頭で演説始めた上に検察側の陳述をカット。完全にやりたい放題だ。
 ――でも、これまで町で行われてきた魔女裁判の歴史を思えば、こんなのはまだマシな方。ろくな審理も為されず、一方的に有罪判決を下された事例が、それこそ山のようにある。
 今回運が良かったのは、枢機卿が視察に来る日と裁判の日程が重なったこと。町の領主といえど、今までのような暴挙は行えない。

 証人台にヘンリが立った。事件唯一の目撃者――あるいは当事者の領主ヘンリ。
 彼はなんとしてもナジャを殺人者に仕立て上げようとするだろう。犯行が可能だったのはヘンリとナジャの2人だけだからだ。ナジャの無実が証明されれば、今度はヘンリの有罪が確定する。それだけは絶対に阻止しようとしてくるはずだ。
「それでは証言してください。事件当日、あなたはなにを目撃したのか」
 裁判長に促され、ヘンリが口を開いた。鬼が出るか蛇が出るか……。
「被告人ナジャ・ハーンには魔女の嫌疑がかけられていた。事件当日、私は被告人と取調室にいた。そこへ事件の被害者である検査官がやってきた。被告人は調べられることを恐れたのか、突然ナイフを持って検査官に襲いかかった! 実に恐ろしい事件だったよ。実にね」
 ――ヘンリの証言が終わった。
 やっぱり領主のテリトリーで起こった事件だけあって、圧倒的に不利な証言が飛び出してきた。
 ここからどう反撃していくか。全てはアッサ・グレンデルの手腕にかかっている。
「疑問がある。殺害された検査官は、いつも貴様と一緒に魔女の取調べをしていたのか?」
 腕を組み、まぶたを落として考え込みながら、アッサ・グレンデルが質問した。
「いいや。隣町から来訪して、その日いきなり取調室にやって来た。高名な異端審問官だったので、見張りの兵も割とすんなり取調室へ通したようだ」
「ふむ。そうか……」
「取調室に窓はなく、取調室前の廊下には見張りの兵もいた。犯行の瞬間、現場にいたのは間違いなく被害者、ナジャ・ハーン、この私の3人だけだったというわけだ」
 ヘンリの証言を聞いて、裁判長はおもむろにうなずいた。
「ヘンリ氏が事の一部始終を目撃している以上、被告人の犯行であったことは決定的と言わざるを得ませんね。弁護人。反対尋問は」
「決定的に穴だらけの証言だと言わざるを得ない……」
 静かに答えて、アッサ・グレンデルは裁判長を見つめ返した。
「犯行のあった瞬間、事件現場には被害者と被告人、そしてそこの領主……3人の人間がおり、その様子を外から見ていた者はいない。領主が嘘の証言をすれば、被告人に罪をなすりつけることは容易だ」
「ふむ。どうやら、被告人の証言を聞く必要がありそうですね。被告人、ナジャ・ハーン。事件の会った当日、あなたが見たことを証言してください」
 裁判長に名前を呼ばれ、ナジャはびくっと肩を押さえた。法廷の雰囲気にかなり怯えているようだ。
「そ、それがその……私、ずっと眠っていたので……なにもわかりません……」
 消え入りそうな声でナジャが証言する。本当になにも見ていないナジャは、寝ていたと証言するしかない。
「ははは! これは滑稽。『記憶にありません』と言ったくらいで無罪放免となるなら、犯罪者を裁くことなど不可能ですな」
 ヘンリは余裕たっぷりに言い、こちらに人差し指を突きつけてきた。
「私は被告人の手によって犯行が行われる瞬間を見た! それを嘘と断ずるのであれば、明確な根拠の提示をお願いしたい」
「ぬうぅ……!」
 アッサ・グレンデルが眉間にしわを寄せた。その表情は、彼女に有効な反撃の手がないことを物語っていた。
 犯行の瞬間、ナジャは薬によって眠らされていた。反論しようにも、ナジャが事件を見ていない以上、言い返せることはなにもない。
「検察側の言い分は至極もっともです。被告人からの反証もないようですし、もはや議論の余地はないと言っていいでしょう」
 裁判長がそう言って、両隣の裁判官となにやら相談し始めた。このまま判決が決まってしまいそうな雰囲気だ。
 あわててアッサ・グレンデルの方へと振り向いた。なにか……なにか打つ手はないのだろうか。
 アッサ・グレンデルは…………なぜか裁判長には目もくれず、ナジャをじっと凝視していた。
「あの小娘……。なぜしきりに肩を押さえるのだ? あれはクセなのか?」
「え?」
 ――アッサ・グレンデルに言われて気づいた。そういえば、今日のナジャはときどき肩を気にしているようだった。今も裁判長らを気にしながら、肩にずっと手を当てている。
 ナジャにそんな癖はない。少なくとも、僕は見たことがない。あの仕草はなにを意味しているのだろう。
「小娘……なにか隠しておるな。恐らく、露見すれば困るようなことを、だ」
「……じゃあ、このまま隠させていた方が得策でしょうか」
「どの道、今のところ有利な材料はない。小娘をあえて追求するのも悪くないやもしれぬ」
 ――ナジャがなにかを隠している……? それは事件に関わることなんだろうか。まさか、ずっと眠っていたというのは嘘だったのか?
 そうだったしても、このまま黙っていたら判決が下ってしまう。審理を引き伸ばすためにはしゃべらせた方がいいかもしれない。

A話題を逸らす 17へ
Bナジャを追求する 18へ

 

15

「ふむ。こんなところでいいだろう」
 数種類の草花やキノコをバスケットに詰め終えてアッサ・グレンデルが言った。彼女曰く、それらの草花からは毒物が抽出できるらしい。
「毒を集めたのはいいですが、これをどうするつもりですか?」
「不安か? 心配するな。手を汚すのは我だけで良い。貴様は裁判の日まで体を休めておけ」
「あ……いえ。不安とかじゃなくて。こんなことして本当にいいのかなって……」
 ナジャは絶対に無実だ。罪を被せようとするヘンリの行いは許せないと思う。
 でも、毒薬で解決を図ろうだなんて、それはそれで良くないことだ。このことをナジャが聞いたらきっと悲しむだろう。
「気が引けるというのであれば……法廷で弁護を引き受けてやってもいい。ただし、先にも言ったが弁護力に期待はするな。我はそこまで優秀な弁護士というわけでもない」
 ――気持ちが揺らいだ。このまま彼女の策に任せていて大丈夫なのだろうか。

A:裁判開始Cへ4へ
B:毒を飲ませる5へ

 

16

「見たか!? ヘンリのマヌケ面! あの顔を思い出すだけで、今後10年は飯がうまく食えそうだ!」
 アッサ・グレンデルの高笑いが止まらない。裁判所で再び手錠をかけられ、留置場へ移送されてからもずっと上機嫌で笑い続けている。
「本当にありがとうございます。死刑を免れられれば御の字だと思っていたのに、無罪を勝ち取ってもらえるなんて……」
 僕は数度目になるお礼の言葉を述べた。ナジャの命を救ってくれた恩は、一生忘れられないだろう。
「なに。彼奴にほえ面かかせてやりたかっただけよ。それより早急に町を出ろ。無罪判決が出たとはいえ、疑惑の目を向けてくる輩は少なくないだろうからな」
「そうかもしれませんね」
 諸々の手続きを終えナジャが自由になったら、一緒に町を出よう。ナジャもきっと納得してくれるはず。
「なんなら一緒に来るか? 洞窟住居でよければ案内するぞ」
 小さく笑い、アッサ・グレンデルが手を差し伸べてくる。
 その小さくて華奢な手が、今はとても頼もしく見えた。絶望的状況から僕とナジャを救ってくれたのは、他でもない彼女なのだから……。
 ――迷ったのはほんのわずかだった。微笑みを返して、僕はその手を――――。

エンディング2『その手を取って』

 

17

「頃合か……」
 どこか遠くを見据えてアッサ・グレンデルがつぶやいた。禍々しい殺気に満ちたその声を聞いて、僕の背中を冷や汗が伝った。
 ――なにかが起こる。良くないなにかが。
 言い知れない不安に包まれ、思わず両肘を抱え込んだ。アッサ・グレンデルの一挙一動に目を光らせながら。
「裁判長! 弁護側は証拠品を提出する。この事件の根幹に関わる、重要な証拠だ」
 アッサ・グレンデルの言葉を受けて、裁判長は「受理します」と答えた。机にあった法令全書を取って、アッサ・グレンデルが裁判長の下へと歩いていく。
「その本が証拠品ですか?」
「……老いたな友よ。我の狙いが読めなんだとは……!」
 アッサ・グレンデルは突然法令全書を投げ捨て、ヘンリの方へと疾走した。自身の髪に指を差し込み、中から串のような物を引き抜きながら。
 検察席のヘンリがとっさに身構えるも――もう遅かった。
 ――傍聴席からいくつもの悲鳴が上がった。
 アッサ・グレンデルの突き出した串が、ヘンリの首筋をえぐっていた。
「くうっ! アッサ・グレンデルめ……!」
「20年、ずっとこの瞬間を待ちわびていた……! いさぎよく地獄に落ちよ! 外道が!」
 ヘンリが首を押さえた。指の隙間からボタボタと赤いものが流れ落ちた。
 アッサ・グレンデルの白い顔に、数滴の返り血が付着していた。手にした串から垂れてくる光が、彼女の細い指先を赤く濡らしている。
「係員! すぐにアッサ・グレンデルを取り押さえてください!」
 裁判長の指示を待たず、係員数名が法廷へとなだれ込んだ。四方から検察席の辺りに駆けつけ、一斉に飛びかかっていく。
 アッサ・グレンデルは抵抗するそぶりを見せず、係員たちに取り押さえられた。持っていた串が地面に落ち、鈍い金属音を奏でた。
「まさか……あなたがこのような手段に訴えるとは思いませんでしたよ」
 裁判長がアッサ・グレンデルに歩み寄り、冷静な口調で話しかけた。アッサ・グレンデルは「ふん」と鼻を鳴らし、無理やりな笑顔を作って見せた。
「ヘンリは数十年前から、無実の者を何人も魔女裁判にかけてきた。我も被害者の一人だ。だから復讐させてもらった」
「……そうでしたか」
「調べれば悪行の証拠はいくらでも出てくるだろう。だが、もういい。彼奴の死をもって復讐は成った。それで十分だ」
 裁判長は悲しげに目を伏せ「残念です」とつぶやいた。
 2人の間にどんな過去があったのかはわからないけれど、悪くない関係だったようだ。
「ああそうそう。此度の復讐、依頼人らは一切加担しておらん。我が独断でやったことだ。間抜けな依頼人と、馬鹿正直な被告人を謀ってな……」
「罪は全て自分が背負う、ということですか。わかりました。そのように手配させましょう」
「かたじけない」
 力強く感謝の言葉を述べて、アッサ・グレンデルが今度は僕の方へと向き直った。
「ま、そういうことだ。貴様たちを利用させてもらった。すまなかったな」
 軽い口調で謝罪して、アッサ・グレンデルは頭を垂れた。それから先は一言もしゃべろうとせず、頭を下げたまま係員に連行されていった。
 去っていく彼女の顔は見ることができなかった……けれど。僕の目には、アッサ・グレンデルが泣いているように見えた。

A:19へ

 

18

「小娘。袖をまくれ」
 厳しい口調でアッサ・グレンデルが言った。
 ナジャは泣き笑いのような表情を浮かべ、動きを硬直させた。明らかに動揺している様子だった。
「袖をまくって肩を見せろ! 今すぐだ!」
 アッサ・グレンデルが凄まじい剣幕で怒鳴りつける。あまりの大声に、離れた席の裁判長までもが顔をしかめた。
 震える手で、ナジャが袖をまくり上げる。途端、傍聴席からいくつもの悲鳴が上がった。黒い火の紋章が、ナジャの肩にうっすらと浮かび上がっていたからだ。
 ――魔女の印。どうしてあんなものがナジャの体に……。
 子供の頃にはなかった。だとすると、それはいったいいつ『つけられた』のか。
 ――決まっている。ヘンリの屋敷で取調べを受けたときだ。あいつ、ナジャになんてことを……!
「おかしい……」
 ナジャを見つめてアッサ・グレンデルがつぶやく。
「魔女の印は焼きゴテによって刻印される偽りの証。印をつけたのは、恐らくヘンリだろう」
「ええ。こんなこと絶対に許されない……!」
「そう。知っていたはずなのだ。ナジャの肩に印があることを、ヘンリは知っていた。なぜ奴は言い出さなかった? 検察側にとって有利な材料となり得る、あの魔女の印があることを」
 アッサ・グレンデルはあごに手を当て、じっと深く考え込んでしまった。目の前で手を振ってみても、まったく反応がない。
 そうこうしている間に裁判官らが相談を始めた。3つ4つ言葉を交わし、お互いにうなずき合っている。早くも意見がまとまったようだ。
「魔女の印まで出てきたとなると、もう弁解の余地はありませんね。では、評議採決に移りたいと思います。被告人ナジャ・ハーンは――」
 裁判長が判決を言い渡そうとした。その瞬間――。
「異議だ! 裁判長!」
 勢いよく机を殴りつけて、アッサ・グレンデルが叫んだ。目を大きく見開いて、裁判長が口をつぐむ。
「検察側はこの事件に関わる重要な証拠品を提出していない! 現場には魔女の印をつけた『焼きゴテ』があったはずだ! そいつを出せ!」
「やきごて……ですか。現場にそのようなものがあったのですか? 検察官」
 話を振られて、ヘンリは視線を逸らしつつ「ありました……」と答えた。言われるまで出すつもりはなかったのだろう。
「では、直ちに提出してください」
 ……ほどなく裁判長の下へ鉄の棒が届けられた。離れているのでよくわからないけれど、棒の先端は奇妙な形に捻じ曲がっている。あれで魔女の印を焼きつけるのか。
「でも、おかしいですね。あんな証拠品、処分すれば良かったんじゃ……」
「恐らく、現場に駆けつけた者が証拠品として回収したのだろう。あの焼きゴテは魔女裁判の不正を暴く最大の急所。警察を口止めする手もあっただろうが、下手な工作は自身の首を絞めかねん。ヘンリとしては、この裁判が終わるまで黙ってやり過ごすしかなかったのだ」
 異端審問……いわゆる魔女狩りには密告制度というものがある。本件の被害者である異端審問官がやってきたことで、ヘンリの警戒心は極限まで高まっていたことだろう。不利な証言や密告をされないためには、あの焼きゴテに関してノータッチを貫くしかなかったいうことか。

 ……裁判官たちの証拠品調査が完了したようだ。裁判長が左右の裁判官らになにかを言い、それからこちらへと向き直った。
「驚きました。どうやら弁護側の言うとおり、この証拠品は魔女の印をつけるための道具であるようです」
 裁判長の言葉を聞き届け、アッサ・グレンデルがのどを鳴らして笑う。検察席に立つヘンリは顔面蒼白だった。
「これではっきりしたな。ナジャ・ハーンの体にある『魔女の印』は、その焼きゴテでつけられたねつ造証拠なのだ! もはや言い逃れはできんぞ! ヘンリ!」
「だ……だがそれでも! 被告人ナジャ・ハーンが被害者を手にかけたことは変えようのない事実なのだ!」
 ヘンリがなおもナジャの有罪を主張する。
「貴様が事件の裏で後ろ暗いことをしていたのは自明の理だ。そのような者の証言など、当てになるものか!」
「自明の理……。果たして本当にそうだったのだろうか。確かに現場では鉄の棒が発見された。それを用いれば、魔女の印をつけることは可能だったかもしれない。しかしその棒を現場に持ち込んだのは、他ならぬ被害者の検査官殿だったのだ。私が疑われる理由などどこにもない!」
「でまかせを!」
「事実だ! 証人もいる!」
 2人の舌戦が過熱していく。見かねて裁判長が「静粛に!」と声をかけた。 
 ――黙り込んでにらみ合う両者。邪道賢人アッサ・グレンデルと――魔女狩りの領主ヘンリ。その姿は、さながら蛇ににらまれた蛙のよう。
 もはや形勢は完全に弁護側がまさっていた。逃げ場のない法廷で、ヘンリは今窮地に立たされている。
「それでは、その証人に話を聞かせてもらいましょう。証言台に呼んでください」
 裁判長の一言で、係員たちが動き出した。ここにきて新しい証人への尋問……。この流れ、吉と出るのだろうか。凶と出るのだろうか。

 証言台に若い男が立った。口をかっちりと結んだ、変に生真面目そうな雰囲気の男性だ。ガラクタを継ぎ合わせて作ったような、安っぽい兜と鎧を身に着けている。
「えー。では証人。あなたは事件のあった日、現場にいたのですか?」
 裁判長からの質問に、証人は敬礼で応えた。
「自分は! 取調室に怪しい奴が近づかないよう見張り番をしていたであります! 焼きゴテを現場で見つけたのも自分であります! お手柄であります!」
「わかりました。そのときのことを詳しく証言してください」
「はっ! 取調室に近づいてはならない決まりですので、私は取調室へと続く廊下を見張っておりました。すると、高名な異端審問官の方が鉄の棒を片手に持っていらっしゃいましたので、取調室へお通ししました。異端審問官の方が取調室へ入られてすぐ、ヘンリ様の悲鳴が! 自分はすぐ声の元へ急行しましたが、『取調べ中は入るな』と言われておりましたのでドアを叩いて呼びかけたのであります」
 ノックの手真似を交えつつ、証人が話を進める。ヘンリの様子をそっと盗み見てみたけれど、表情などの変化はわからなかった。
「扉を開けると、まずヘンリ様が外へ……。さすがに恐怖を感じていらっしゃったのか、玉のような汗をかいておられました……で、あります!」
 玉のような汗……。僕なら恐怖で逆に汗が引いてしまいそうなものだけど。なにか証拠を隠すために急ぎでやらなければならないことでもあったのだろうか。
「そのとき、服装はどうだったのだ?」
 アッサ・グレンデルが質問した。証人は考え込むような仕草で斜め上を向いた。
「ええと……今と同じ格好であります。シャツの上から上着を羽織っておられました」
「む……!」
 アッサ・グレンデルが表情を歪めた。なにか不審な点に気づいたんだろうか。
「どうしました? アッサ・グレンデル」
「いや。少々昔を思い出してな。彼奴め。この我にあんなものを見せつけおって!」
 そういえば、アッサ・グレンデルは『取調べが始まるや否や、なんと自ら服を脱ぎだしおった』と過去を語っていた。そのときのことを思い出してしまっただけのようだ。
「よくとっさにパンチが出ましたね」
「うむ。我の鉄拳は彼奴の急所に見事突き刺さった。あのときの忌まわしき感触は……死んでも忘れん!」
 どの『急所』に突き刺さったかはあえて聞かないことにしよう。とにかく、アッサ・グレンデルの一撃はヘンリを少しだけ用心深くさせたようだ。
 ナジャは取調室に入ってすぐ意識を失っている。乾布摩擦の最中に反撃を受けないよう睡眠薬でも盛られたんだろう。なんて小心な男なんだ。
「部屋に入ったとき、被告人と被害者の位置関係はどうだったのだ」
 アッサ・グレンデルが尋問を再開した。
「入って左手にベッドがあり、被告人ナジャ・ハーンはそこに倒れていました。検査官殿の遺体は部屋の中央付近。部屋の右手には机がありました――のであります」
「凶器となったナイフは、どこから持ち込まれた物だ?」
「ヘンリ様の私物だったようであります。普段は机の中に入っていたそうですが」
 凶器は机の中。これは重要な証言になるだろうか。アッサ・グレンデルの表情に変化はない。
「現場の様子を描いた絵があります。現場検証の際に描かれた物です。これを参考にしてくださいであります」
 弁護席に証人がやってきて、一枚の紙切れを差し出してきた。紙の上には殴り書きされたようなラクガキが描かれていた。
 ――左側にベッド。右側に戸棚付きの机。人の形をしたものが2つ――多分、被害者とナジャを表しているのだろう。それから――。
「む……。壁に武器がかかっておるな」
 目を細めてアッサ・グレンデルがつぶやく。確かに絵の中には斧や槍、剣などが描かれていた。僕の目が悪いのか、絵の方が下手すぎるのか、『壁にかかっている』かどうかはちょっとよくわからない。『宙に浮かんでいる』の方がしっくりくる。
「その武器は飾り物でした。壁に固定されていて、使うことはできないであります」
 証人が武器について説明した。アッサ・グレンデルの言ったとおり、武器は壁にかかっていたようだ。でも、事件と関係ないなら気にしてもしょうがないか……。
「どれ。私たちにも見せてください」
 裁判長が要求してくる。証人はアッサ・グレンデルの手から紙切れを引き抜き、裁判官らの席へ向かった。
「とにかく、彼の証言で重要なのは『焼きゴテは被害者が持ち込んだ』というその一点のみ。恐らく、検査官殿は被告人になんらかの恨みを抱いており、魔女に仕立て上げるため焼きゴテを用意したのだろう。しかし被告人から思わぬ反撃を受け、逆に刺されて亡くなったということでしょうな」
 ヘンリが言って、裁判長がそちらへ視線を向けた。
「検察は主張を変えるのですか?」
「私は事件を目撃していましたが、まあ一瞬のことでしたので。被害者がなにをしようとしたか把握できなかったのです。だから、被告人が一方的にナイフで襲ったと勘違いしてしまったのですな」
 突然アッサ・グレンデルが机を叩いた。かなり怒っているのだろう。こめかみに青筋がくっきりと浮かび上がっている。
「つまり、貴様はこう言いたいのだな? 被告人ナジャ・ハーンは、魔女などではなく、この事件も殺人ではなく正当防衛だったと」
「その通りだ。証拠と証言が全てを物語っている……」
 ……ヘンリが主張をひるがえした。これはチャンスなのか?
 正当防衛が認められれば、殺人罪で実刑を受けることはなくなるかもしれない。だけどその場合、ナジャはやってもいない『異端審問官の殺害』を認めなければならなくなる。
 取調室へ入ってすぐ意識をなくしたナジャに、被害者を殺害できたはずがない。犯人は間違いなくヘンリだ。でも見張りをしていた人の話によると、怪しい動きを見せていたのは被害者の方。いったい取調室でなにが起こったというのだろう。
 ……わからない。とりあえず今の段階で判明していることを整理してみよう。
 ヘンリは取調室で服を脱ぐ癖がある。でも見張りの兵士が駆けつけたとき、ヘンリは下着どころか上着まで身に着けていた。そのときヘンリは大量の汗をかいていた……。
 検査官は焼きゴテを持って取調室へやって来た。この焼きゴテは、恐らくヘンリが魔女の罪を着せるために使っていたもの。ただし検査官は隣町からやってきたそうなので、ヘンリの協力者であった可能性は低い。
 コテを熱した状態で持ってきたということは、検査官は誰かに対する害意を持っていた。でも、検査官とナジャに接点はない。そうなると、検査官が焼きゴテで傷つけようとした相手は……。
「アッサ・グレンデル。少し思いついたことがあります。今すぐここで確認してもらいたいことが……」

A:ナジャの身体検査を求める 20へ
B:ヘンリの身体検査を求める 21へ
C:凶器を調べる 22へ

 

19

 ――あれから、どれだけの月日が経過しただろう。

 病院で一命を取り留めたヘンリ。しかし退院した彼が行くことになったのは、領主の館ではなく刑務所だった。
 誰かの差し金だったのか、元々疑いをかけられていたのか。ヘンリが倒れた後、彼の屋敷に国から派遣された調査団が押し入ったのだ。
 調査団の活躍により、これまでヘンリが行ってきた数々の悪事が発覚。それに伴ってナジャも証拠不十分として釈放され、僕たちは無事に元の生活を取り戻すことができた。
 ……けれど。ボクたちを救ってくれた恩人アッサ・グレンデルは、殺人未遂の罪に問われ無期懲役の量刑を科せられた。
「後悔はしていない」
 ――と、アッサ・グレンデルは笑顔でそう語っていた。獄中で過ごすこととなった彼女の心中を思うと、僕たちは今の自由を素直に喜ぶことはできそうもない。

 今日も僕とナジャは刑務所へと赴く。あの日僕たちを救ってくれた恩人と、面会を果たすために……。

エンディング3『払われた犠牲』

 

20

 僕の提案を受け、女性係員によるナジャの身体検査が行われた。けれど新しい証拠はなにも発見されなかった。
「どうやらこれ以上の証拠は見つからないようですね
 落ち着いた声で裁判長が言った。
「今回の裁判では、驚くべきことが判明しました。まず、事件が正当防衛であったこと。そして、被告人ナジャ・ハーンが魔女ではなかったという事実です」
 ……異議を唱える者は誰もいない。けれど、アッサ・グレンデルはなにか言いたそうに口を動かしている。
「被告人ナジャ・ハーンは無罪。無罪となります。以上、閉廷」
 裁判長の口から判決が言い渡される。
 アッサ・グレンデルは渋い面持ちで腕を組んだ。この結果に満足はしていないようだ。
 もちろん僕も同じ気持ちだった。無罪判決が出たとはいえ、ナジャが人を殺めたとする事柄は確定されてしまった。これからナジャはずっとそのことを背負い続けなければならない。
「アッサさん」
 ナジャがアッサ・グレンデルに声をかけた。
「私を助けてくれて、本当にありがとうございます。もう絶対死刑になると思っていたのに……。なんだか夢を見てるみたいです」
 感謝の言葉を受けて、アッサ・グレンデルはため息混じりに微笑んだ。
 法廷の熱が冷めていくのを感じる。僕もようやく肩の力を抜くことができそうだった。

A:16へ

 

21

「ヘンリさん。あなたは魔女を取り調べる際、服をお脱ぎになる癖があるそうですね? なんでも、乾布摩擦がご趣味だとか……」
 傍聴席にまで届くよう、僕はなるべく大きな声で言った。
「なっ! なんだと貴様! 名誉毀損だ! そのような事実などない!」
 激しくうろたえるヘンリ。悲しいことに、狼狽しきったその態度が全てを物語っていた。
「かつて魔女の嫌疑をかけられ、あなたの取調べを受けたアッサ・グレンデルはこう話しています。『取調べが始まるや否や、なんと自ら服を脱ぎだしおった』と」
「邪道賢人アッサ・グレンデルは印を持った汚らわしい魔女だ! そのような卑しい者の証言、信用に値しない!」
 ヘンリがこちらに人差し指を突きつけてくる。
「なにが『汚らわしい』だ! 誰に見せても恥ずかしくない綺麗な体をしておるわ!」
 アッサ・グレンデルは激昂し、机を何度も叩いた。どうも論点がずれてしまっているようだ。裁判長の冷たい視線が痛いくらいに突き刺さってくる。
「魔女の印を持つ者の言葉は信用に値しない……。それは確かですか?」
 一呼吸置いて、僕はヘンリにそう問いかけた。
「そ、そうだ!」
 ヘンリは少し言いよどんだ。――この反応。やっぱり彼はなにかを隠している。
「裁判長! 今すぐヘンリ氏の身体検査を実施してください! 体のどこかに、魔女の印があるはずです!」
 裁判長の両眉がつり上がった。唐突な要求に驚いているようだ。けれど、僕の目を見て冗談でないことを察したのだろう。すぐにうなずきを返してきた。
「係官、検察官の身体検査をお願いします」
 裁判長の指示で、2人の係員が検察席へと向かった。僕の予想が正しければ、これで立場は逆転するはずだ。
「今の話は真か? しかし、以前我が見たときには、印などどこにも……」
 耳元でアッサ・グレンデルが尋ねてくる。
「取調室の中に……理由はわかりませんが、焼きゴテを持った検査官が入りました。そのときヘンリは服を脱いでいたはずです。その……乾布摩擦のために」
「ふむ。乾布摩擦をする目的以外に、服を脱ぐ理由などあろうはずもないからな!」
「ですが、警備の者が悲鳴を聞いて駆けつけたとき、ヘンリは上着を着ていました。焼きゴテを隠すことよりも、衣類の着用を最優先したんです」
「急ぎ服を着なければならない理由があったということか……」
 裸を隠すだけなら、ズボンをはけばいい。上半身が裸でも、『凶器を押さえ込むため、上着を脱いで盾代わりにした』と言えばごまかせる。とっさにそこまで頭が回らなかったとしても、着るのはシャツまででよかったはず。つまり――――。
「係官。なにか見つかりましたか?」
 裁判長が係員に尋ねた。身体検査をしていた係員たちの顔色は驚愕に彩られていた。
「ありました! 印です! ヘンリ氏の腕に『魔女の印』が……!」
 傍聴席でどよめきが起こった。
 ――みんな驚くに決まっている。『魔女狩り領主』として知られたヘンリ自身の腕に、魔女の証が刻み込まれていたのだから……!
「どうやら決定的な証拠が見つかったようだな! 検査官を殺害した魔女の正体は、他ならぬ領主ヘンリであったのだ!」
 アッサ・グレンデルが、傍聴人たちの耳に届くよう大きな声で言い放つ。傍聴席で再びどよめきが巻き起こった。
 魔女の取調べを行う直前、ヘンリは公衆浴場で体を洗っている。その時点で魔女の印がなかったことは多くの人に確認されているはずだ。
 ヘンリは認めるしかない。魔女の印は検査官に焼きゴテでつけられたものだと。そう言わなければ魔女にされてしまうから。
 そして――――ヘンリがそのことを認めたとき、『検査官がナジャを襲い、反撃に遭って殺害された』という検察側の主張は覆る。なぜなら、検査官に襲われたのはヘンリの方だったのだから……!
「待て! 違う! これは違うんだ! 最初に被害者がナジャを襲い、私はそれをかばおうとして負傷したのだ! いわば名誉の負傷!」
「だったらなぜ、最初からそのように説明しなかったのだ! 人に言えん理由があったからであろう!」
 ナジャをかばったというヘンリの供述に対し、アッサ・グレンデルが即時反論する。
「こうなることを恐れたんだ! 私の体から魔女の印が発見されれば、当然疑いの目を向けられるだろうからな!」
 ヘンリの苦しい言い訳が法廷中にむなしく響き渡った。
 その声を完全に無視して、アッサ・グレンデルが判事席へと向き直る。
「裁判長! 聞いてのとおりだ! その男、ヘンリの証言は極めて疑わしいと言わざるを得ない! 今一度証言させるのだ! 検査官が殺害された瞬間、現場でなにが起こったのか!」
「認めます。検察官――いえ。証人はもう一度証言してください。事件の日、あなたが本当に目撃したことを」
 証言を求められたヘンリは、過呼吸気味になりながらうなずいた。いよいよ真実を告白してくれるのだろうか……。
「私が取調べを行おうとしていたら、突然あの魔女狩り担当の検査官がやってきた! 検査官は焼きゴテを振り回し、私の腕に魔女の印をつけたのだ! 検査官はその後ナジャ・ハーンともみ合いになり、壁にかかっていた剣で突き刺された! 私はその間、反対の壁際に退避していた! 私は無実なんだ!」
 ヘンリの証言は……さっきまでとほぼ同じ内容だった。どうあってもナジャに殺人の罪を着せたいようだ。
「彼奴め、相当まいっておるようだな。いろいろとおかしなことを言い始めたぞ」
 アッサ・グレンデルは活き活きとした声で言った。
 ――『おかしなこと』。確かに今のは変な証言だった。事件の凶器は剣じゃなくてナイフだし、他にもありえないことを口走っている。
「よいか? 争点とすべきは『魔女の嫌疑』ではなく『異端審問官殺害事件』だ。余計な情報に惑わされるな。すでに勝機は見えた!」
 アッサ・グレンデルの鋭い視線が、ヘンリの中心を射抜いていた。決着のときはもうすぐそこだ。

A:腕に魔女の印をつけられたことについて聞く 23へ
B:凶器が壁にかかっていたことについて聞く 24へ

 

22

 弁護席に凶器のナイフが運ばれてきた。果物をカットするのに適したサイズの小振りなナイフだった。もっとナタのような大きい物を想像していただけに、少し拍子抜けな感じがした。
「凶器なのに血が付いておらんな」
 刃に映る自分の顔を見つめて、アッサ・グレンデルがつぶやいた。
「凶器を回収した有能な警察官が洗ってしまったのだよ。血が付いたままでは気味が悪いと言ってね」
 アッサ・グレンデルの疑問にヘンリが答える。
「これだから田舎の警察は……」とアッサ・グレンデルがぼやいたけれど、それでなにが解決するわけでもない。時間だけが無情に過ぎていく。
 血の手形でも残っていれば有力な証拠になっただろうけど……これではどうにもならない。ここは考え方を変えるべきだろう。
 凶器以外でまだ調べていないもの……。法廷内になにかなかっただろうか。

A:ナジャの身体検査を求める 20へ
B:ヘンリの身体検査を求める 21へ

 

23 

「被害者は焼きゴテを振り回したそうだが、それでよく綺麗に火の紋章がついたものだな。実は最初から魔女の印を持っていたのではないか?」
 魔女の印についてアッサ・グレンデルが追求した。
「ま、待て! 事件の前、私は公衆浴場を利用している! その時点で魔女の印がなかったことは、皆が証明してくれるはずだ!」
「それはどうであろうな! 浴場で他人の裸体ばかり見ている者などそうそういるものか! 証言できる人間はおらぬかもしれんぞ!」
「だとしてもあり得ないだろう! 魔女の印があるなら、そもそも公衆浴場など行くものか!」
 ヘンリの主張を聞いて、裁判長は深くうなずいた。
「確かに。私の体に印があったら公衆浴場は利用したくないでしょうね」
 弁護側の主張が、裁判長の言葉によって打ち砕かれる。アッサ・グレンデルは苦虫を噛み潰したような顔で歯軋りした。
「どうやらこれ以上はなにも出てこないようですね。そろそろ定刻ですし、判決に移りたいと思います」
 裁判長がドンと机を叩き、すぐに「おっと失礼しました」と謝罪した。アッサ・グレンデルの机を叩くクセが感染してしまったようだ。
「事件は正当防衛であった可能性が高く、被告人の体にある魔女の印も偽者であると思われます。よって被告人ナジャ・ハーンは無罪。無罪となります」
 ナジャに無罪判決が下った。アッサ・グレンデルは相変わらず渋い面持ちだけど、ナジャはこの結果に満足しているようだ。安堵の表情を浮かべ、ゆっくりと深呼吸を繰り返している。
 死刑確実と思われた裁判で無罪判決が下ったのだから、これ以上ない成果と言えるだろう。彼女に弁護を依頼して良かったと心から思う。

A:16へ

 

24

 アッサ・グレンデルが机を軽く叩いた。ただそれだけでヘンリは大きく身震いした。
「『凶器は壁にかかっていた』。これは事実か?」
 どすの利いた声でアッサ・グレンデルが質問する。ヘンリは口を大きく開き、ガクガクと首を前後に揺さぶった。
「もちろんだ! 今度こそ嘘偽りはない!」
「しかし、警備に当たっていた兵士はこう話している。『凶器のナイフは普段机の中にあった』『壁の武器は固定されていて使えない』と」
「そ、そうだ! 被告人だ! 検査官がやってきた直後、被告人が机の中から――」
「襲われてとっさに反撃しようと思ったならば、壁の武器を手に取ろうとするはずだ! 緊急時にわざわざ机の中を調べる阿呆などおらん!」
 アッサ・グレンデルが言葉を紡ぐたび、ヘンリの顔色は青くなっていった。
「犯人は知っておったのだ! 壁の武器が使い物にならんということを! だから机を開け、凶器のナイフを取り出した! その日初めて取調室へ入ったであろうナジャ・ハーンには、取り得ない行動だ!」
「か、可能性はゼロと言えんだろう! 被告人が机からナイフを取り出し、被害者を刺した! 可能性が完全に否定されない限り、犯人はそこの被告人なんだ!」
 ヘンリの主張に対し、裁判長は首を横へと振った。
「検察側は事件が被告人の犯行であったことを示す、必要十分な根拠を提示しなければなりません。私はここまでの審理において、検察側の立証は必要不十分であると認識しています」
「そんな……!」
「被告人の有罪が立証されなければ、犯人である可能性を持った人物は自動的に絞られます。裁判の後、あなたは重要参考人として本国へ来て頂くことになるでしょう」
 ヘンリが口を大きく開けたまま絶句した。もはやこの法廷内に彼の味方はいない。傍聴席に集まった人たちも、みんな厳しい視線をヘンリに送っていた。
「さあヘンリ。ここらで真実を話したほうが身のためだぞ。我は優しいからなァ……!」
 優しさのかけらも感じ取れない悪魔顔でアッサ・グレンデルが語りかける。
「正当防衛を主張するなら認めてやる! いい加減に白状しろ! この魔女狩りめ!」
 アッサ・グレンデルの声が法廷中に鋭く響き渡った。
 裁判官も、傍聴人たちも――その場に集まっていた全員が口を閉ざし、無言でヘンリに注目する。訪れた静寂の中、たった一つ動き出す人の姿があった。
 ヘンリだ。白くなった顔を上へと向け、水面で餌を求める魚のように、パクパクと口を動かしていた。
「あ……あれは正当防衛だった……。いきなり焼きゴテを押し当てられ、パニックになって護身用のナイフを探した……。それを夢中で振り回していたら……け、検査官が倒れて……」
 ヘンリはがっくりとうなだれた。もうすでに観念したからなのか、血色が元に戻り始めている。
「その後、落ちていた焼きゴテを拾い、ナジャ・ハーンの肩に押し当てた……。魔女のしわざだったことにすれば、罪を逃れられると思った……。だが、すぐに思い直した! 不当な魔女裁判を行えば、罪は告発した側に科せられてしまう。だから私は、ナジャ・ハーンの肩に印があることを黙っていたのだ……!」
 ヘンリの告白が終わって――――しばらくの間、口を開こうとする人は誰もいなかった。ナジャも、裁判長も、傍聴人らも、アッサ・グレンデルも――。
 殺人の罪で魔女裁判にかけられた被告が、まさかの大逆転。傍聴席に集まった人たちは誰もこんな結果を予想していなかっただろう。
「どうやら、全ての謎は解き明かされたようです。被告人は殺人を犯してなどいなかった」
 裁判長の言葉に、ヘンリが異議を唱えることはなかった。事実上の決着。弁護側の完全勝利だ。
「やりましたね! アッサ・グレンデル! 本当にありがとうございます!」
「……ああ。そう……だな」
 せっかく勝利を得られたというのに、アッサ・グレンデルはどこか浮かない表情でヘンリを見つめていた。
 ――――そうか。彼女はまだ、本来の目的を果たせていない。自身の潔白を証明するという、隠された本当の目的を。
 この法廷では、『焼きゴテを持ってきたのは被害者だった』ということが証明されてしまった。その時点で『魔女の印ねつ造疑惑』に関して、ヘンリの無実が確定してしまったのだ。
 ヘンリが不当な魔女裁判を行ってきた事実……。そのことを表に引きずり出さない限り、アッサ・グレンデルは魔女の汚名を着せられたままだ。
 じゃあなぜアッサ・グレンデルはその件について追求しなかったのか。――決まっている。ナジャを無罪にするためだ。『先に襲ってきたのは被害者』とする検察の主張を認めれば、少なくとも正当防衛が成立するから。
 ナジャを助けるためにあえて追求しなかった。邪道賢人と蔑まれてきたあのアッサ・グレンデルが……。
「夜も更けてまいりましたので、そろそろ判決といたしましょう。最終弁論は……必要ありませんね?」
 ――裁判長が審理を締めくくろうとしている。ヘンリの不正について言い出すなら今しかない。
 どこかになかっただろうか。あの焼きゴテと領主ヘンリを結びつける、決定的な証拠が……。

A:証拠は法廷の中に 25へ
B:証拠は事件現場の中に 26へ

 

25

「裁判長! 少し待っていただけないでしょうか! この事件にはまだ裏があります!」
 気づくと僕は大きな声を上げていた。今にも判決を下そうとしていた裁判長が、多少驚いた様子でこちらを向いた。
「まだなにかあるのですか? もう定刻は過ぎていますので、あまり長引くようなら審理を明日以降へ持ち越すことになりますが……」
 ――枢機卿が帰ってしまえば、ヘンリの不正を告発するチャンスは消える。裁判後に僕ごときが行政へ訴えたところで、まともに取り合ってはもらえないだろう。ヘンリが全ての証拠を処分してしまう恐れもある。
 まだ終われない。アッサ・グレンデルが魔女でなかったことを証明するまでは、この裁判を終わらせるわけには行かない。
「よせ! 審理を長引かせるな! おとなしくここで無罪判決をもらっておくのだ!」
 アッサ・グレンデルが横から僕の肩を揺さぶってきた。
「審理を長引かせておいて決定的な証拠がなければ、一時閉廷して再調査という形になる。せっかく勝ち得た無罪判決を棒に振るようなものだ」
「ですが……」
「再調査の時間を与えれば、彼奴は根回しや証拠のねつ造を行ってくるやもしれん。しかもそのときすでに枢機卿はおらんのだ。不正な証拠や証言がザクザク出てくるぞ。審理内容が覆り、有罪死刑が確定する可能性も……!」
 ――視界の端でナジャが手を振っていた。そちらを向くと、ナジャはこちらにオーケーサインを送ってきた。「やってしまえ」……と言いたいようだ。
 すぐに裁判長の方へと向き直り、僕は大きく口を開いた。
「裁判長! そして、枢機卿閣下もお聞きください! この町の領主ヘンリは過去数十年にわたり、不当な魔女裁判を幾度も繰り返してきました!」
 アッサ・グレンデルとヘンリが、ほぼ同時に「異議あり!」と叫んだ。
 しかし裁判長は「認めません。話を続けてください」と異議を却下した。
「その証拠こそが、現場で発見されたあの焼きゴテです! 領主ヘンリはあの焼きゴテで印をつけ、無実の者を魔女として裁いていたのです!」
「しかし、あの焼きゴテを現場に持ち込んだのは被害者だったはずでは?」
「被害者があの焼きゴテをどこで入手したかはわかりません。ですが弁護側は、あのコテの持ち主が他にいると主張します! 持ち主を特定する証拠が、今この場に存在するのです!」
「わかりました。では証拠を提出してください。それで真偽がはっきりしなければ、一時閉廷といたしましょう」
 ――正直なところ、この場で提出できる証拠は決定力に欠けるかもしれない。『必要十分な根拠』足りえないかもしれない。全ては裁判官らの心証にゆだねられる。とても危険な賭けだ。
 例えば裁判開始直後にこの証拠を出したとしても、恐らくは却下されていただろう。でも今は情勢が変わった。アッサ・グレンデルの健闘によって、裁判官らのヘンリに対する疑念は最大限まで膨らんでいる。
 言うならこれは彼女がつかんだチャンスだ。この機を逃すわけにはいかない。
「20年前、ある人物が『魔女の罪』により国を追われました。彼女は僕にこう言っています『領主ヘンリに焼きゴテで魔女の印をつけられた』と」
「そ、そんなもの、口からでまかせだ!」
 ヘンリの反論に対し、裁判長が「静粛に」と注意した。
 ――裁判長にはわかったのかもしれない。その人物が誰であるのか。
「その人物の名前はアッサ・グレンデル。かつてその英知と美貌を称えられた賢人であり、この裁判の弁護人でもあります。……裁判長はご存知ですよね」
「もちろんです。彼女が魔女の嫌疑にかけられ有罪判決を受けたと知ったときは、それはもう驚いたものです」
「彼女の体には、20年前つけられた魔女の印が今も残っています。その痕と、今回現場で発見されたコテの形が一致したなら、もはや単なる偶然では片付けられません。『領主ヘンリに魔女の印をつけられた』というアッサ・グレンデルの証言は、極めて高い信憑性を帯びることになるのです……!」
「なるほど。ただちに照合してもらいましょう」
 係員がやってきて、裁判長から例のコテを受け取った。それを手に弁護席へと向かってくる。
「これで、あなたの無実も証明されるはずです」
 僕の言葉に、アッサ・グレンデルは力なく首を振った。
「20年間、同じ道具が使われ続けた保証はない……。貴様は、大馬鹿者だ……」
 瞳が潤んでいた。小さな肩が震えていた。アッサ・グレンデルは――初めて本気で怯えているようだった。
『目的は個人的な復讐』
『ナジャが死んでも構わない』
 彼女は事あるごとに言っていた。その言葉が真実でないことを、僕とナジャは知っている。邪道賢人アッサ・グレンデルは、ナジャの無実を証明するため誰よりも懸命に戦っていた。誰よりも真摯に戦っていた。
 だからこそ、怖いんだろう。自分のためにナジャが有罪判決を受けるかもしれないことが。彼女は優しい心を持った女性だから……。

 ――静かだった。
 係員の手による照合作業が始まって数秒――十数秒――。法廷中の誰もが、固唾を呑んで見守っている。
 松明の爆ぜるパチパチという音だけが、ずっと鳴り響いていた。そして――。
「い、一致しました! 弁護人の胸にある印と、現場で発見されたコテの形がぴったりと!」
 静寂を切り裂く係員の声が、傍聴席の向こうにまで響き渡った。傍聴人たちが騒ぎ出し、その声が一気に大きく広がっていく。
「どうやら、弁護側の主張は正しかったようです」
 裁判長がつぶやき、今までの柔和なそれとは違う厳しい目つきで、ヘンリを見据えた。
「『不当に魔女の嫌疑をかけた者は、魔女の罪と同等の刑に処されるものとする』。魔女裁判の鉄則です。――領主ヘンリ。あなたには、これから本国で取調べを受けてもらいます。余罪が出てこないことを祈りますよ」
 ――魔女裁判の鉄則。僕は初めて聞いた。
 情報に疎い小さな町だから、そういった話も聞くことができなかったんだろう。
 全ての罪を暴かれたヘンリは、すっかり小さくなってしまっていた。裁判での心的負担は相当なものだったのだろう。その顔つきは、たった数時間でひどく老け込んでしまったように見えた。
「それでは判決を言い渡します。被告人ナジャ・ハーンは無罪! 検察は被告人が犯罪を行ったとする必要十分な根拠を提示できなかった。よって無罪となります!」
 判決が言い渡されたその瞬間、傍聴席から歓声とも嘆声ともつかない無数の声が上がった。みんなナジャが無罪となったことを喜んでくれているようだった。
 ヘンリががっくりとうなだれ、机に突っ伏して動かなくなる。観念し、全てをあきらめた男の姿がそこにあった。
 ナジャは潤んだ瞳で周囲を見渡している。そして、アッサ・グレンデルは――――。
「これで――」
 放心しきった顔で佇むアッサ・グレンデルに、僕はそっと声をかけた。
「これで、あなたに少しは恩返しできたでしょうか。――アッサ・グレンデル。妹を助けてくれて、本当にありがとうございます」
 アッサ・グレンデルはくすぐったそうに眉をひそめた。うつむいて「ふっ」と息を吐き、ゆっくりとこちらを見上げてくる。
「やはり貴様は、大馬鹿者だ」
 アッサ・グレンデルが笑った。彼女がこれまで散々見せてきた攻撃的な笑みじゃない。穏やかで安らかな微笑みだった。目尻には大粒の涙が浮かんでいる。
 ――綺麗だと思った。最初に出会ったときよりもずっと。
 ヘンリが彼女を欲しがった理由。少しだけわかるような気もする。……後が怖いから、同じ事をするつもりはないけれど。

 戦い終わって夜が更けて……。
 諸々の手続きを終えた僕とアッサ・グレンデルは、未だ裁判の熱が残る特設会場へと再び足を運んでいた。
 町の人たちから迫害されるのではないか――と、アッサ・グレンデルは言っていたけれど。当面その心配はなさそうだった。
 ヘンリに対してずっと疑いの気持ちを抱いていたからだろう。傍聴席に集まっていた人たちは、みんなどことなくすっきりした面持ちで帰っていった。特設会場にいるのは僕とアッサ・グレンデル。他は後片付けをする人たちだけだ。
「ところで、枢機卿ってどこにいたんでしょう。結局出てこなかったですけど」
 周辺をぐるりと見渡して僕はつぶやいた。
「なにを言う。枢機卿とはずっと話をしていたではないか」
 アッサ・グレンデルは目を丸くした。僕やアッサ・グレンデルがずっと話をしていた相手……? それってまさか――。
「なかなか面白い法廷でしたよ。勇敢な弁護人たち」
 不意に後ろから話しかけられ、僕はあわてて振り返った。ついさっきまで裁判長を務めていた人の姿がそこにあった。
「しかし、あなたが弁護を担当したにしては地味でしたね。アッサ・グレンデル」
 裁判長の言葉を聞いて、アッサ・グレンデルはなぜか胸を張った。
「準備期間がなかったのでな。検察側の証拠だけで戦わざるを得なかった。たまにはああいうのも良いであろう? 『枢機卿閣下』」
 その呼称を聞いて、思わず裁判長の顔を2度見返した。穏やかに微笑む目の前の老人が…………枢機卿?
 そう言われてよく見ると、裁判長からは大物特有のオーラがバリバリと…………いや、やっぱり出ていない。きっと素人目には計り知れない人物なんだろう。
 裁判長が枢機卿だったのか……。視察に来た身で判事を務めるなんて、恐ろしく精力的な人だ。おかげで助かった。
「そうそう。たった今、報告がありました。被害者がヘンリ氏を襲ったのは復讐のためだったようですね。被害者の妹さんが以前ヘンリ氏に魔女の嫌疑をかけられ、有罪判決を受けていたそうです」
「ヘンリの様子はどうだ?」
「全ての犯行を自供しました。まあ、殺人については正当防衛ですから、極刑とまではいかないでしょう。今は留置場の中で乾布摩擦をしているようです」
 ――乾布摩擦……。
 アッサ・グレンデルの方便だと思っていたけど、まさか本当に……。
「なんだその顔は。だから我はずっと言っておったのだ。乾布摩擦をする以外に、服を脱ぐ理由などあるはずがないと」
 僕の顔を見て、不満げにアッサ・グレンデルが言った。
 ……なんだろう。すごく納得がいかない。でも乾布摩擦以外の理由なんか思いつかないし、やっぱり彼女の言い分は正しかったということなのだろう。そういうことにしておこう。
「最後に一つ訊いてもいいですか?」
 この話題を口にするのは少し怖かったけれど、僕はかねてから気になっていた『謎』について聞くことにした。
「アッサ・グレンデルは、20年前に魔女の罪で国外追放されているから、少なくとも30歳は越えているはずです。どうしてその……そんなに若いんでしょう」
 目の前にいるアッサ・グレンデルは、せいぜい10代半ばくらいにしか見えない。髪は白髪だけど、しっとりしていてつやもある。どう考えてもおかしい。異常な若さだ。
「ああ、そんなことか」
 アッサ・グレンデルはニヤリと口元をゆがめた。
「我は本当に本物の魔女なのだ。ゆえに歳などとらぬ」
「え」
 思わず言葉を失った。彼女の言葉をどう捉えていいのか……どう切り返せばいいのか、全くわからない。
 魔女の汚名を払拭するためあれだけ頑張っていたのに、実は本物の魔女……? そんな馬鹿なことが……。
「おお! そういえば我も一つ聞いておきたいことがあったのだ!」
「――はい。なんですか?」
「弁護料のことだ。今回の件は高くつくぞ。……だが、まあ心配するな。元より金払いには期待していない。貴様と小娘にはカラダで払ってもらうと決めていた」
「国外からこっちに戻ってくるから、引越しを手伝えってことですね?」
「それだけでは済まさん! 貴様らには更なる雑務をこなしてもらうぞ! 所員としてな!」
「所員?」
「うむっ。我は大都会に出て、弁護士事務所を再開する!」
 遠くの空へ人差し指を突きつけ、アッサ・グレンデルは高らかに宣言した。
「ああ……。恐ろしい人を野に放してしまいました……。捕まらない内に私は退散します。後のことはよろしく」
 枢機卿がつぶやき、脱兎の如く逃げ出した。やや大柄な体型からは想像もつかないほど俊敏な動きだった。そこまでアッサ・グレンデルを恐れるなんて、いったい過去になにがあったというのか。
「邪魔者は消えたか。……おい。弁護のついでにサービスだ。受け取れ」
 アッサ・グレンデルがいきなり僕の耳をつかんで強く引っ張った。抵抗する間もなく体が引き寄せられ――――柔らかくて瑞々しい感触が頬に押し当てられる。
 ――キスされたことを理解するまでに、少しの時間がかかった。わかった途端、気恥ずかしい気持ちが全身を駆け抜け、意思とは無関係に顔が熱くなった。
「はははは! うぶな奴よ! 照れるな照れるな!」
 アッサ・グレンデルは僕の耳から手を放し、上機嫌で笑った。
 今のは――どういう意味だったんだろう。サービス? お礼? からかわれた? それとも……。
「でもほっぺで妥協してる辺り、大きいことばっかり言う割りに奥手と見ましたね。本当はファーストキスもまだなんじゃないですか?」
 いつの間にやってきたのだろう。背後からナジャが話しかけてきて、アッサ・グレンデルはびくっと肩をすくませた。図星を指されていたのか、その顔がみるみる赤く染まっていく。
「なにを言う! 我は……そう! 清純派なのだ! 奥手とかそういうのではないっ!」
 大声で『清純派』を主張するアッサ・グレンデル。自分で言うとかなり痛々しい。どう見ても清純とは違うタイプだけれど、あまりつっ込むのはよそう……。
「アッサさん。法廷で私を助けてくれて本当にありがとうございます。凄く格好よかったです」
「おだてても弁護料はまけんぞ。金を支払う代わり、貴様と兄にはこれから我の弁護士事務所で所員として働いてもらう。たっぷりこき使ってやるから覚悟しておくのだな」
「はいっ。所長」
 明るく返事をして、ナジャはアッサ・グレンデルの隣についた。女性同士通じ合うものでもあるのだろうか。2人で親しげに話をしながら、そのまま帰路についていく。
 アッサ・グレンデルの弁護士事務所……。想像したら不安ばかりが募ってくる。これから僕たちは、退屈のない毎日を送ることになっていくだろう。いい意味でも、悪い意味でも。
 ため息混じりに天を仰ぐ。――夜空の彼方に流れ星が見えた。僕たちの門出を祝福しているかのようだった。

ベストエンディング『終焉・そして始まり』 読んでくださった方、本当にありがとうございました!

 

26

「裁判長! 少し待っていただけないでしょうか! まだこの事件は解明されていません! 重要な証拠が、事件現場に――」
 僕が言いかけたその瞬間、アッサ・グレンデルが机を叩いて妨害してきた。
「待つな! 裁判長! 此奴の話は本件となんの関係もない!」
 味方同士で食い違う弁護側の主張に対し、裁判長は首を振って応えた。
「弁護側は、意見をまとめてから発言してください」
 裁判長が言い終えるなり、アッサ・グレンデルは僕の胸倉をつかんで引っ張ってきた。
「落ち着け。現場をもう一度調べようなどと発言したら、審理が明日へ持ち越しになってしまうぞ。そのときすでに枢機卿はおらん。せっかくここまで積み上げてきたものが、全て無駄になってしまう」
「ですがこのまま裁判が終わってしまったら、あなたは……」
「ヘンリを憎む気持ちはわかる。だがここは我の顔を立ててくれ。無罪判決を受け取っておくのだ。いいな」
 ――違う。ヘンリを憎んでいるとか、そんなことじゃない。
 そう言いたかったけれど、言葉は出てこなかった。
 今、この場で誰よりもヘンリを糾弾したいと思っているのはアッサ・グレンデルなのだ。その気持ちを無下に、これ以上食い下がることはできなかった。
「……どうやら異議はないようですね。それでは判決を言い渡します。被告人ナジャ・ハーンは無罪! 検察は被告人が犯罪を行ったとする必要十分な根拠を提示できなかった。よって無罪となります!」
 判決が言い渡されたその瞬間、傍聴席から歓声とも嘆声ともつかない無数の声が上がった。みんなナジャが無罪となったことを喜んでくれているようだった。
「以上、本日は閉廷」
 裁判長の一言で裁判は締めくくられた。
 これで……長い夜が終わった。長い裁判の一日が。
 傍聴席のどよめきは、いつまでも鳴り止むことはなかった。ナジャは潤んだ瞳で周囲を見渡している。
 隣に佇むアッサ・グレンデルが、全てをやり遂げた顔つきで瞑目した。瞳を閉じたまま静かに深呼吸し、勝利の余韻をかみ締めているようだった。

「兄さん。行くの?」
 玄関口でナジャが声をかけてきた。「行くよ」と答え、肩から提げた荷物を背負い直す。
 ――あの魔女裁判から一週間。親切な町の人たちに助けられたりしながら、僕とナジャは元の生活を取り戻し始めていた。
 暮らしが落ち着いてから最初に想ったのは、あの裁判で力を貸してくれたアッサ・グレンデルのこと。彼女は裁判の後、僕になにも言わず帰ってしまった。すぐにでも追いかけたかったけれど、ナジャの面倒も見なければならなかったので僕は町に残った。
 ……そして今日。いろいろなことに一応の区切りがついたので、僕はアッサ・グレンデルに逢おうと思った。
「アッサ・グレンデルには大きな恩ができたからね。一度ちゃんとお礼を言いに行かないと」
「そんなこと言って。本当はただ会いたいだけなんじゃないの?」
 からかうような口調でナジャが尋ねてくる。「まさか」とだけ答え、僕はその場をごまかした。
 僕がアッサ・グレンデルに対して特別な感情を抱いていることは確かだ。ただ、それが恋愛感情かどうかは、自分でもはっきりとはわからない。ナジャを救ってくれたことへの感謝が強すぎて、他の気持ちに歯止めがかかってしまう。
「じゃあ行ってくるよ」
「うん。いってらっしゃい」
 ナジャに見送られて出発する。あの洞窟で暮らしている、小さな大恩人の顔を見に行くために。
 あれからヘンリの屋敷には、本国からの調査団が何度か訪れていた。異端審問官殺害事件を受け、これまでヘンリが行ってきた『魔女狩り』実績について疑問の声が上がったらしい。
 もしかすると近い将来、20年前アッサ・グレンデルの受けた有罪判決が取り消されることになるかもしれない。そのときがやってきたら、一刻も早く彼女に伝えてあげたい。
 他の誰よりも早く。彼女のよろこぶ顔をきっと一番に見られるだろうから。

エンディング4『魔女裁判完全勝利!』 惜しい! ベストエンドまであと一歩です!

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